その部隊は、少し奇妙なものが感じられた。全身を黒のローブに、フードを目深にかぶった背の高い男が、扉を破った兵士たちの合間から、前へと進み出た。
 黒いローブの男は、私に人差し指を突きつけた。
 次の瞬間には、私の間合いに入り込んでいた。そして、私の頬にキスをした。
 黒いローブの男から立ち上る灰と煙のきつい香りが、鼻についた。
「アシューから離れなさい」
 レスティカの声と共に、黒いローブの男と私との間に、レスティカが入り込んできた。
 黒いフードの中から、灰色の呼気がレスティカに襲いかかった。
その呼気をレスティカは淡いピンクのローブの袖で払った。と同時に、紫の稲妻が横に走り、黒いローブの男の背後の兵士たちが倒れていった。一瞬の熱さにもがき死ぬか、運良く生きていても重度の火傷で数日しか生きれなかったであろう。
 彼女、レスティカは大人と称せられるものに容赦はなかった。いつもの優しい穏やかな笑みはなく、冷ややかで艶っぽい表情が、レスティカにあった。
 レスティカは私に向き直ると、言った。
「逃げなさい、アシュー!」
「なぜ?!」
 レスティカの剣幕に、私は問い返した。
「いいから! キングが死んで、貴方が傷を負ったら、この大陸はモンスターの巣窟になってしまうのよ! 貴方も自分で言ったでしょう! 自分が死んだら……」
 レスティカの声が終わる前に、部屋の中を妙な気配が満たしていった。
 眉を寄せる私の目の前が、ぼんやりと暗くなった。いや、性格には部屋全体が暗くなったのだ。窓から見える太陽が、暗い空間に明るい月のように浮かんでいた。
 そのうす暗がりの中で、何かが私の体に降りかかった。こめかみから頬に流れる暖かいものが、血だと気づくのにしばらくかかった。その血は、私のものではなかった。
 気づくと私の体にもたれかかるようにしてレスティカがいた。私の左肩に、レスティカの右手が食い込んでいた。
「クイーン!」
「アシュー、早く逃げるの……私の……」
 崩れ落ちるレスティカを、私は寸でのところで抱き止めた。
 ふと顔をあげると、先の黒いローブの男が宙に浮いていた。黒いローブの裾が、不気味に空間に広がり、太陽を隠した。部屋がさらに暗くなり、私の心にも闇が降りてきたようだった。
「クイーン!」
 私は何度かレスティカと、宙に浮かぶ黒いローブの男とを交互に見た。
 黒いローブの男の袖から、真っ黒な手が私に向けられた。
 汚れて黒いのではなかった。
 その黒いローブの男の手自体が、底なしの闇のように黒かったのだ。
 心の底に押し固められていたであろう、私の不安要素が、沸き立った。
 それが恐怖だと気づいたのは、もっとあとのことだった。
「闇の焔火よ!」
 私が唱えたのは、誰でも「FIRE」と唱えれば出る炎ではなく、
それのさらに二つほど威力の強い、一般人では詠唱の必要な呪文だった。
 私の場合は、ある単語を発するだけで即座にその魔法が作動するように体内に工夫がしてあった。
 その魔法が発動し、爆風と炎熱が部屋全体を包み込んだ。
 部屋の中央部分に敷かれていた赤い絨毯が、炎にあぶられて黒くなってゆき、側に倒れていた兵士たちが怨念のこもった声を発して炎をあげていた。
「ワタシに力をヨコセ」
 どこかたどたどしい、感情と抑揚のまったくない声が、黒いローブの男から聞こえた。
「貴方がどのような身分のものだか知りはしないが、レスティカの礼は今させてもらう!」
 私は持っていた剣を黒いローブの男へと突きつけた。そして、長い青のローブのすそを翻し、風を巻き起こした。もともとローブに組み込んである魔法の防御風を発生させたのだ。
 その風を巻き上げ、私は真空の刃を作り上げて黒いローブの男へと放った。
 真空の刃の一つは床に食い込み、かろうじて残っていた絨毯の燃えカスが床とともに砕けて飛んだ。壁にヒビが入り、窓ガラスが割れたような気もする。
 私は刃が走り去った後をかいくぐって黒いローブの男の元へと切り込んだ。
 だが、私の足元から黒い闇のようなものが生まれでて、体を絡めとった。
 ドン、と言う衝撃に体の中にたまっていた空気がすべてなくなったような気がした。
 そして、背に走り続ける痛みが、瓦礫の破片が食い込んだものによるものだと気づくのにしばらくかかった。
 その痛みが、さらに加わった。内蔵を圧迫するような衝撃が襲ったのだ。
 目の前に黒いローブの男の体が迫り、私の口に黒い闇のような手をあてがった。
「シネ」
 黒いローブの男は、空いたもう一本の手を私の心臓部分に当てた。
 私の肺の中から、酸素と何かが逆流した。喉の奥で、ゴフ、と言う音が沸きあがってきた。男の黒い手に、赤いものが染み込んだ。
「生きている……コロセ」
 私の額に、先ほどの心臓に当てていた手を当てた。
 これを食らったら死ぬ、そう本能で判断した私は、風の防御を再び起こした。
 黒いローブが切り刻まれ、部屋の中に舞い散った。手ごたえはあったはずだった。
 床に叩きつけた風の反動で一気に立ち上がる。口の端からボタボタと血が落ちた。
 背後に何度目かの衝撃が襲った。
「チカラを、ヨコセ」
 耳元をヒュッ、と言う音がいくつか聞こえた。
 逃げよう、そう思った。そう思った目の前を、いくつもの黒い影が走った。それは衝撃として私をもてあそんだ。
 恐怖を感じた敗北は初めてだった。
 恐怖のためか、うまく転送の魔法が発動しなかった。それ以外にも理由はあったかも知れない。
 気がつくと私は、虚無の地から遠く離れた場所にいた。シャント大陸の北に位置するエヴィエンド国の北海の海岸にいた。私が一番好きだった場所だったからだろうか。ともかく私はそこにいた。
 酷く体の節々が痛み、いつも着慣れて重ささえ感じていなかったローブが重かった。海水を少し含んでいるとはいえ、自分の体自体がおかしかった。
 私の最後のプライドだったかもしれない。人に助けを求めることなく、この小屋へと舞い戻った。
 そう、何十年かぶりに。人と会いたくない時に、何度かこもったことがあったが……しかし、なぜ同じエヴィエンドにもらった城にいかなかったのだろうか……



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