13


 たどり着いたベルツ湖は冬の寒さのためか硬く凍り付いていた。
それにベルツ湖周辺は、雪と白いもやで包まれていて、アシューの視界をふさいだ。
「困ったな……どうする?」
 アシューは一人つぶやいてカバンの中の魔術書を探ろうとした。その弾みで、羽にくくりつけておいた糸を手放してしまった。羽は、掴み取ろうとするアシューの手をすり抜け、白いもやの中へと吸い込まれてしまった。
「待って!」
 顔を青ざめさせ、アシューは見えない羽を追った。だが、見えないものを追い続けることはできず、その場にへたり込んだ。
 アシューの目に、涙が浮かんだ。最近、とても涙もろくなっているようだ。
「いいよ、もう。自分で探すから」
 子供のようにすねた口調でそうつぶやくと、もやの中を歩き始めた。
 しばらく歩き続けると、もやの中に含まれる水分がアシューのコートをじっとりとぬらし、さらにアシューを冷たく重い雰囲気に追いやっていった。
「馬鹿妖精が。少しは相手のことも考えてみろ」
 アシューはそう言ってくしゃみを二回すると、顔をゴシゴシとこすった。涙をぬぐったようだった。
 その、顔をこする手がふと止まった。白いもやの中で、何かがアシューの脇をすり抜けた。
「ラグ?」
 アシューの問いに答えたのは、衝撃だった。アシューはころころと地面を転がった。
「人ではないな」
 アシューは飛び起き、構えた。その目の前に、黒い剛毛の太い腕が現れた。その腕に、アシューは吹っ飛ばされた。空中でくるりと方向を転換させると、その腕に向かってアシューは炎を放った。だが、濃いもやのせいで、発火しなかった。
「ちっ」
 アシューは舌打ちをすると、きびすを返して……逃げ出した。
だが、後ろから迫る気配がある。小さいとはいえ、獲物を逃す気はないようだ。相手の全貌を垣間見ることさえできなかったが、巨大なモンスターであることは間違いない。それに、相手を追い詰めることがとても好きなようだ。
「ラグ! うらみますよ!」
 アシューは走りながら怒鳴った。周りが確認できない中を走り回るのには危険があったが、今はそうも言っていられない。そう思って、走る速度をあげたのが間違いだった。
 アシューは、ヒザのあたりに痛みを感じ、次の瞬間には天地がひっくり返っていた。コケと泥臭さの混じった中にアシューは顔を突っ込んだ。慌てて起き上がり、体制を立て直した時には、もう遅かった。目の前に、巨大な黒い影があった。毛がびっしりと生え、丈夫には三つの目が赤く光を放っていた。体毛の合間に隠れていたのか、四本の太く長い腕が、いっぺんにアシューへと伸びてきた。
「う、うわあああああ……ラグのばか!!!!!」
 最後の怨みの言葉を、ラグに対して怒鳴りながら、アシューは目をつぶった。
 ざん、と言う音を聞いて、アシューは目を開けた。その目の前で、三本の腕が白いもやの中に浮かび上がり、青黒い血を巻きつつ消えていった。
「な……?」
 一つの影が、アシューとモンスターとの間にあった。体つきからすると、男だろう。その男が着ている黒いコートのすそが、アシューの顔をなでた。
「もうちょい下がってな」
 男は太く低い割にはよく通る声で、アシューにそう言った。アシューは言われたとおり、ずりずりと後ろに下がった。
 男は少し腰をかがめた。モンスターは、残った一本の腕を振りかざし、男に襲いかかった。対して男は、その腕をいとも簡単に受け止め、その腹部に拳をねじりこんだ。
 拳は密集した剛毛を割り、硬そうな黒い皮膚をえぐった。
「“破壊拳”!」
 男はそう言って拳をモンスターの内部で回転させた。再び引っこ抜いたときには、肘までどっぷりと青黒い血にまみれていた。そして、男の手の平には魔石が握られていた。
 魔石を失ったモンスターの最後は呆気なかった。男が高い位置に放った蹴りで頭は吹っ飛び、男が転換した回し蹴りに胴を四散させられた。
「うおっしゃ! だいぶ体の扱いに慣れてきたぞっと。よぉ、こんな危険地帯に足を踏み入れるマヌケさんよ」
 アシューはその言葉と共に高い位置へと抱き上げられた。
「こんなに体冷たくしちまって。まったくマヌケなやつ」
「そんなに何度もマヌケと言わないでください」
 男の体のぬくもりに安堵したのか、アシューは泣いていた。
「泣くなよ……悪かったって。ホント、体冷たいなぁ。俺のコートの中に入ってろよ」
 男はそう言ってアシューの頭から黒い布をかぶせた。アシューが再び明るみに出ると男の顔が目の前にあった。どこかで見たことのある顔だったが、思い出せなかった。
「あのですね……」
「宿に着くまで寝てていいぞ。相当お疲れの様子だからな」
 男の声に誘われるようにしてアシューは目をつぶり、眠りについた。

*      *

「起きろよ、賢者さま」
 アシューは耳元で聞こえた声で、頭の回転を始めさせた。
だが、すぐに回転スピードを落とし、再び眠りに突くために、こう
言った。
「もう少し、寝かせてください……」
「起きなきゃだめだって!」
 乱暴にかけ布団をめくられ、アシューはようやく目を開ける気に
なった。ぼやけた視界の中に、男らしき顔が迫っている。
 アシューは、相手の見慣れぬ顔に疑問をなげかけた。
「だれ?」
「俺」
「わからん」
 怪訝そうな表情を浮かべるアシューに、男は偉そうにのけぞって答えた。
「ラグナハザードさま」
「知らん。寝る」
 アシューはそれ以上の会話がめんどくさくなり、掛け布団を探してその中にもぐりこむ。
 その布団の半分を奪って、男が慌てたように言った。
「俺だって! ラグだよ!」
「ラグ?」
 顔を男の方に向け、目を細くして視点をあわせようとする。
「そそ」
 アシューに顔をぐっと近づけ、ラグは言った。
「デカイな」
 そう、アシューの目の前にいるのは、どう見ても人間の青年。
丸い瞳に筋の通った鼻。口元は少し幼さを残した笑顔を浮かべている。
「デカイだなんて、そんな。賢者さんが使う言葉じゃないぜ?」
 ラグはそう言ってアシューの頭をなでた。
「だって……どうやってその姿に?」
 アシューがたずねると、ラグは得意満面の笑みを浮かべた。
「アンタの力を丸ごと取り込んだ。あのグローブの中に入っていたやつ全部ね」
「……それで、弊害は?」
 恐る恐るラグの手に触れ、アシューは眉を寄せた。
「ないぜ、まったく。言ったろう、俺は器だけはデカいって」
 ラグはアシューの手を軽く振り払うと、拳を握り、そのまま腕に力を入れて曲げた。二の腕に見事な力瘤ができ、ラグは満足そうな表情を浮かべた。
 アシューはそれが面白くないらしく、無表情になると、掛け布団を頭からかぶって丸くなってしまった。
 そんなアシューを見て、ラグはため息をつき――丸まったアシューの上に腰を降ろした。
 下から「ぐぇ」と言う一際大きい声が聞こえた後、小さく毒づく声が聞こえてくる。
「どうでもいいんだけどさ、腹減ってないわけ? 賢者さんよ」
「空いた……」
 アシューはそう言って顔を出した。
「飯、食いに行こうぜ」
 ラグがめちゃくちゃ爽やかな表情を浮かべた。その邪念のかけらさえない笑顔に、アシューは小さく「うん」と答えた。


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