10


 アシューは、涙を手の甲で拭い取った。
「ラグの、バカ……」
 体に寒さを感じて、アシューは窓を閉めた。くしゅん、と一つくしゃみをすると、暖炉に戻って薪をくべた。
「すぐ、戻ってきてくださいよ……絶対行きませんからね」
 アシューは、もう一度くしゃみをして身震いすると、額に自分の手を当てた。
「寝よう。寝ている間に帰ってくるでしょう……」
 怠惰な者、という名称を思うがままにしそうなアシューはそのまま雪に濡れたいローブを暖炉前の椅子にかけた。
 ふとラグの寝床にしていたカゴに、アシューは目を落とした。
 とても小さな二枚の白い羽が落ちていた。羽は暖炉の炎に照らし出され、オレンジ色に染まる。それをそっと手にとり、羽の先を頬に持ってゆく。
「なんで、こんなに涙もろくなってしまったのでしょう……」
 アシューはそう言いながら、暖炉前の椅子の上でひざを抱え込んだ。
アシューはひざを抱えながら、自分が本当に子供に戻ってしまったような気がした。
十五年も前にも、この感じを覚えたことがある。
そう、十五年前にエヴィエンドの海岸にたどり着いた時だ……


 海水をしみ込ませた服は、着慣れたものではなく、ひどく重たく冷たいものに感じた。辺りはまだ夜明け前のためか暗かった。
 とても、自分の体に違和感があったのも覚えている。虚しさが心の大半を占めていた。
 その、濡れた服を着たまま、体を引きずるようにして立ち上がった。賢者になって以来、初めて誰かに助けを求めるために声をあげようとした。「助けて」、と上げた声が、自分の声ではないようだった。細くまだ声変わりもしていないような……だが、どこかで聞いたことがあった。身も、心も芯まで凍えきり、何かを求めるように、だがそれさえもためらうように、アシューズヴェルドは海岸沿いをさまよった。そして、ふと気づいた。
 海岸の、小さな小屋。本当の子供の頃に、遊んだ覚えがあった。
その頃よりもっと小さく、崩れかけてはいたが。その小屋の中に、濡れた服のまま転がり込んだ。青いローブを脱ぎ捨て、身につけていた服も脱ぎ捨てた。派手にくしゃみを一つし、小屋の中を見回した。船の帆だと思われるものを体に巻きつけ、小屋の中央に残されていた木の燃えカスと灰の山に火を起こそうと手のひらを向けた。
「なぜ?」
 疲れの為か、炎は発動されなかった。そのときは疲れているためだから、と思ったのだ。仕方なしに近くを探り、ランプとセットになったマッチを見つけ出した。その二つがあったのは、まったくの偶然ではあったが、とにかくそれでアシューヴェルドの命は助かった。
 カタカタと小刻みに震える足を見て、アシューヴェルドはやっと自分の状態を冷静に考えることができるようになった。
「小さい……」
 冷たい足の先を手で触りながら、アシューズヴェルドはつぶやいた。そして、包まっていた布の間から、左足を出した。その太ももから足先にかけて、とても細かった。
手に目をやると、震える指は短く、ふっくらとしていた。
「まさか、意識だけ転移したのか?」
 自分の高い声に驚き、アシューズヴェルドは思わず立ち上がった。
布が体から滑り落ち、落ちた布は風を巻き起こして火を強く立ち上らせた。
意識だけの転移”。
 転移の魔法には、いろいろと危険があった。その例として、精神と体が別々になってしまったり、体の一部がどこかへと消えてしまうものがある。レベルの低い者が無理に使ったり、あまりにも精神に負担がかかった状態で行うとそのような現象が起きる。
 アシューズヴェルドは、自分の転移魔法が失敗したのでは、と思った。どこかに自分の体があって、精神だけこの子供に乗り移ってしまったのだ。
 だが、アシューズヴェルドはその考えに、自分で頭を横に振った。
「それならば、なぜこの子供が私の服を着ている? 転移魔法は、一方通行のはずだ。双方向性はない……もしも、精神と服だけ転移されてきたのならば、この子供が身につけているはずの服が存在するはず……」
 アシューズヴェルドはそう言いながら、自分の体を順に見下ろしていった。
 胸元には以前のようなたくましい胸の筋肉の張りはなかった。あるのは、痩せた胸だけ。そして、腹部に目を落とすと、そこにあるのは滑らかなくぼみのヘソだけ。その胴部は、以前のようながっしりとした太さはなく、大人の両手で覆えてしまいそうなほどに細い腰があった。
 そのままアシューズヴェルドの目が下腹部へと進み、ため息をつく。レスティカと何度か交えたモノがない。成人男性並のものは備<えていたと記憶している。
「幼いな、この体……」
 アシューズヴェルドは苦笑をもらすと、布を羽織った。
 たどりついた結論はひとつだった。
「私は、子供に戻っている。あの黒マントの男のせいなのか、それとも私の転移魔法が何らかの支障をきたしたのか……」
 アシューズヴェルドはそう言いながら、濡れたまま床に灰まみれになっている青いローブを見つめた。もしかすると、この青いローブが、死だけは回避してくれたのかも知れない。生きていれば、再び成長し、力を得ることもできるだろう。
 青いローブを干そうと立ち上がり、ローブを手に取った瞬間、アシューズヴェルドにめまいが襲った。ローブの合間に入れた手に熱いものがあたり、思わずローブを取り落とす。
 青いローブの間から、青く鋭く光る球が転がり落ちた。
「なんだ、これは」
 アシューズヴェルドがそう言いながら指先で突くと、小さな稲妻が生み出てアシューズヴェルドを拒絶した。指先が、赤くはれていた。指先を口に含み、怪訝そうな顔で青い光の球を、しばし見つめた。
 青かった光は、徐々に落ち着いた淡いぴんくがかった紫色にかわった。
「暖かい……」
 球は再び伸ばした手を、今度は拒絶しなかった。暖かさを欲するように、アシューズヴェルドはそれを抱きしめた。そのまま、布に包まり、コロリと横になった。
心地よい暖かさに、うとうとし始めるアシューズヴェルド。
 そんな中で、アシューズヴェルドは夢を見た。
 とても幼い頃に何度も見た大きな手の夢。とても大きく、浅黒い。 何十年という年の重みを感じる手だった。
 頬に触れるざらざらとした手の感触に、アシューズヴェルドは小さな笑いをこぼした。
 いつもヒザの上に乗せられ、頭や頬をなでられた記憶がある。そのヒザの上で、魔術の話だけにとどまらず、伝説や王国の発端などを何度も聞かされたことがある。その語り部である主を見上げると、いつも穏やかな笑みがそこにあった。話が終わって、ベッドに寝かしつけられるときも、その手で頭をなで、布団をかけてくれた……
 それが父親代わりであり、師匠でもあった者だった。その名前が思い出せなかった。

 そこで、アシューズヴェルドは目を覚ました。自分の体が子供に戻ったのも、夢だと思った。そう思って自分の体を再び見下ろす。
「まだ夢の続きを見ているのか? どうやったら目が覚める?」
 いたって冷静につぶやくと、立ち上がってサイズ的に大きくなってしまった服を着込む。身長は、五十センチぐらいは縮んだようだ。
シャツ一つでひざまですっぽり覆われてしまった。アシューズヴェルドは、むっすりとした表情を浮かべると、下につけていたズボンを丸めた。それを先ほどまで包まっていた帆に投げおいた。上から青いローブを着る。かなり裾があまり、アシューズヴェルドは小さく唸った。
「まぁ、よいか」
 そう言って、小さな窓から空を見上げた。青く澄み渡った空が見えた。日の傾きからすると、昼頃だろう。
 アシューズヴェルドの頭に、二つの考えが浮かんでいた。エヴィエンドの国に構えた城に戻るべきか。それとも……夢で思い起こしたあの場所へ帰るか。
 考えをめぐらすアシューズヴェルドに、黒く影が落ちた。太陽が、
ひとつの雲に隠されたせいだった。それで我に帰ったのか、アシューズヴェルドは深くため息をついた。
「もう、戻れない……自分の地位へは」
 それが、アシューズヴェルドの出した答えだった。そして、なによりも帰りたかった……


 アシューは、暖炉の前でうとうととしていたことに気づいた。涙のあとが顔に残るのを感じ、手の甲で拭い去った。
 起き上がり、ラグの気配を探すが、どこにもない。外を見ると、吹雪は落ち着いたものの、まだ雪が降り続いていた。
「どう、しよう」
 ラグが心配だった。雪は落ち着いたとは言え、寒い。
「大丈夫、かな」
 窓の前で、うろうろとするアシュー。ふと何かを思いついたかのように窓から離れると、本棚や本の山をあさり始めた。
 しばらくして、アシューは一つの分厚い本を山の中から取り出した。パラパラとめくり、ラグの残していった羽の一枚を手元に出した。紙にインクで本に載っているとおりに魔方陣を書くと、中央に羽を乗せてつぶやいた。
「主との脈をつなぎたまえ その生死を我に知らせよ」
 魔方陣の上に乗せておいた羽が、フワリと浮かんだ。そして、くるくると回りだす。羽は窓のところへと飛んでゆき、アシューが窓を開けるとそこから飛び出そうとした。
 アシューはすんでのところでその羽を捕まえると、窓を閉めた。
「生きてはいるし、移動もしている。無事ですか……」
 アシューはそう言いながら深くため息をついた。テーブルに座り、
紙に何かを書くと、小さくひも状に折って羽の根の部分にくくりつけた。再び窓を開け放つと、羽は勢いよく飛び出ていった。
「私をからかわないで、さっさと帰ってきてください……」
 ポツリとアシューはつぶやくと、ベッドのある部屋へと行き、ゴソゴソとフトンの中へと潜り込んだ。



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