一章 8


 レモドに入ると、まずは一面の金色の草原がアシューを出迎えてくれた。枯れた背高の草が夜露で濡れた体で、朝日をいっぱいに反射している。手をかざして遠くを見てみると、ところどころに様々な巨木が生えている。この、同じ種類の巨木を線で繋いで行けば、必ずどこかの町へたどり着ける――レモドの国はそんな面白い旅人の言い伝えがあったのを、アシューは思いだしていた。
「どの巨木を追っていけば、西の都まで早く着くんでしたっけ……」
 それを思い起こそうとしばらく歩きつづけ、最初の巨木にたどり着いたとき、ふと後を振りかえった。
「そう言えば、ファリアードの国境、随分と簡単に抜けられてしまいましたね。村人が持ちまわりで警備をしているだけのようですね。かなり平和ボケしているようですが、大丈夫なんでしょうかね」
 アシューがそう言って前に向き直った途端。
「大丈夫なわけないじゃん!」
 との声と、顔面に軽い衝撃を食らった。鼻を押さえながらアシューが顔を上げると、ふてくされた顔をしたラグがいた。
 ラグの出現に、アシューは焦ったような、驚きの表情を浮かべた。
「え、だって……」
 アシューが困ったように後に下がると、ラグはため息をついて言った。
「賢者さん、何回か妖精を使ったでしょう。言わなかったっけ? 妖精はネットワークが広いんだって。呼びだしちゃったらすぐ居場所バレるからね!」
 ラグはアシューの首根っこを捕まえて持ち上げると、顔と顔を近づけて睨んだ。
「どうして一人で行っちゃうの! すごく、すごーく心配したっ!」
 ラグはアシューの頭をぐしゃぐしゃと撫でてから地面に降ろした。アシューは、乱された髪を整えると、小さく言った。
「ご、ごめんなさい……」
 まるで叱られた子供のように小さくなり、その場に立ち尽くした。
 ラグはしばらく腕組みをしたままアシューを睨んでいたが、ふと表情を緩めた。
「でもいいや。すぐ見つかったし、まだ早まった真似もしてなかったから」
 ラグはそう言いながら歩き出した。アシューはラグの後姿を見つめた。
 たくましい青年の姿のラグ。その背は太陽の光を反射しながらレモドのかつて、見たことがあったようで、思わずアシューは顔をしかめた。
「なぜ……昔が思いだされるのでしょう」
 ポツリと言ったアシューに、ラグが振りかえった。
「どうして、大人はすぐに昔を忘れちゃうんだろうね――いいんじゃないかな、昔を、子供の頃を思い出せるって。全てを忘れてしまった大人より、良いことだと思うよ、俺は」
 ラグは目を細めて優しく微笑んだ。
 ふと風が吹いて、草が揺れた。ラグの短い髪も軽く揺れ、アシューは目に入る風に顔をそむけた。
「でも、私が思い出せるのは、子供の心ではなく、子供であった時の断片的な風景でしかないのです」
 アシューは乱れた髪を両手で押さえながら、小さく叫んだ。まるで、風に言葉を邪魔されるのを期待して。ラグはクスクスと笑って答えた。
「変な賢者さん。子供であったことを忘れる大人なんて、この世の中にたくさん居るんだよ? 俺だって、時々自分が何者かわからなくなるときがあるもん。おしゃべりでお節介な妖精。それが俺の本当の姿。けれど、今こうして立っている俺はなんだろう? 前と同じお節介な妖精なのかな? それとも、力を欲しがる魔物なんだろうか?」
 ラグはそう言って、アシューの手を握った。
「でも、賢者さんのことをちっとも放って置けないところを見ると、妖精であってもそうじゃなくても、お節介なことに変わりはないんだなーって思えちゃう。だから賢者さんはクールな賢者さん、でいいんじゃないかな……ところで。西の都って相当遠いんじゃっ!?」
 ラグは、足を止めた。
「ま、大体三日ぐらいでしょうかね、貴方の足で。子供の足ですと、五日ぐらいは見たほうが良さそうです」
 アシューはあっさりと答えた。そして、ラグの手をふり解いて先に歩き出す。後に残されたラグは、肩を深々と落としてため息をついた。
「飢え死にしちゃうよー! 何か乗り物とかないの!? ものすごく風強いよっ!?」
 半分パニックになりながら叫ぶラグ。どうやら先ほどの深いため息はパニックに陥るための前準備だったようだ。アシューは笑いながら答えた。
「大丈夫ですよ。このまばらに生える巨木は、必ず水か食べ物のどちらかを与えてくれますから。ほら、色の違う二つの緑の木があるでしょう。明るい緑の木はとても太い木の根を持っていて、それが西の都の巨大な湖から延々と水を通しているのですよ。濃い緑の木は、その木の根は細いものの、高カロリーな果実を実らせることで有名なんですよ。他にも蜜が出る木もありますし、パンの味がする実がなる木もある。この草原では意外と苦にならないのですよ。だからこそ、レモドの国民は遊牧民……と言うより一人や家族単位で移動して生活する者が多いようですね」
 アシューはそう言って、空を見上げた。
 強く吹く風は巨木の葉を揺らし、ちぎりとって空に散らす。
 アシューとラグは草をかき分け、歩き出した。寡黙な二人を、風と揺れる葉の音が通り過ぎてゆく。

 どのくらいの時を歩きつづけただろうか。ふとアシューは足を止めた。
「休みますか?」
 アシューの言葉に、ラグはしばらく考え込み、うなずいた。
「丁度、水の出る木なんですよ。そこの枝を折ってみてください。小枝ですよ」
 アシューの言葉に、ラグは目線の高さの小枝を折った。すると、勢い良く水が吹き出た。
「ブギャッ!」
 なんとも情けない声を出して、ラグは顔をこすった。その髪からは水が滴り落ちている。
「踏まれた猫みたいな声ですね、笑えますよ」
 アシューは、機械のような感情のない声ではっはっは、と笑った。
「賢者さんっ!」
 ラグは顔を真っ赤にして、次の言葉を言おうとするが、何も出てこない。口が虚しくパクパクと動くだけだった。
「ね、面白いでしょう、その木」
 アシューはそう言って、折れた所からこぼれ落ちる水をカップで受け止めた。
「レモドに川は極端に少ないんです。けれど、巨木がこうして大きく育つのは、これが証明してくれていますよね」
「ぶへっくしゅっ」
 アシューの言葉に、ラグはくしゃみで答えた。
「賢者さん、酷いなー。ま、いいけどさ。汗流したと思えば」
 ラグはムスッとした表情で言い、アシューが差し出したカップから水をすすった。
 しばらくすると切り口から出ていた水は勢いを緩め、最後には止まった。
「この木の皮は擦り潰すと傷薬にもなるんですよ。さっき折った小枝、捨てないでおいてください。後で傷薬を作りますから」
 アシューの言葉に、ラグは「へーっ」と一言、先ほど折った小枝を拾い上げた。
 少し時間を置き、アシューは立ちあがって再び歩き始めた。そして、ラグから小枝を受け取ると、葉を一枚地面に捨てた。しばらく歩いて、また一枚、とアシューは葉を地面に捨てる。それを不思議に思ったのか、ラグが話しかけてきた。すると、アシューはこう答えた。
「種を撒いているんですよ。あの木の種は、葉についているんです。実を結ばない木ですが、自分の子孫を残す手だては考えていたようです。われわれが水が出るのを知っていて枝を折る。折った枝はその場か、あるいはしばらく持ってから飽きて捨てる。木は私達に水を提供し、私達は種をほんの少し遠くへと捨てる。お互い、自分の為になり、相手の為も考えているんです」
 アシューはそう言って、小枝についていた最後の一枚を風に乗た。葉はひらひらと舞い上がって行く。
 ラグは舞う葉を見ながら呟いた。
「大地に根を降ろす前に、空を旅して一時の自由を楽しむ……人の生き方みたいだ」
 ラグのいつもより大人びた横顔を、アシューはただ黙って見つめた。
 アシューとラグはまた黙ったまま再び歩き出した。
 二人が次に足を止めたのは、日がとっぷりと暮れ、遠方にいくつかの炎を見た時だった……



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