三章 5


 エアフレイン城下町。城の中とはうって変わり、凍えるような寒さが頬を刺す。
「普通に城下町歩くなんて久しぶり。もしかすると始めてかも」
 少女のようなはしゃいだ声を上げたのはロスフィアだった。その腕はアシューの右手に絡んでいる。そして左腕にはレーヴェレスがため息混じりに歩いていた。
「ママ、子供じゃないんだから……」
 レーヴェレスが言うと、ロスフィアはアシューの腕から離れかと思うとレーヴェレスの腕に絡んだ。
「だって久しぶりなのよ、歩いてお出かけするのが」
 鼻歌交じりに言ってロスフィアは今度はラグに抱きついた。そして二人で街中をくるくると回り始める。それを見てレーヴェレスは真っ青になっていた。
「恥ずかしい……」
 うつむくレーヴェレスに、アシューは笑いをこらえていた。
「ロスフィアはいつ見てもかわいいですよ。子猫のようなはしゃぎ方がとても魅力的なんですよ」
 アシューがそう言うと、ロスフィアは振り返って言った。
「だって私猫だもの」
 ロスフィアのその笑顔は確かに年を感じさせないかわいらしさがあった。
「貴方には貴方にしかないかわいさもありますけどね」
 アシューはそう言って笑った。
「くぅ、そう言うアシューは小さいときの方がかわいかったわよ!」
 レーヴェレスのちょっとした皮肉に、アシューは「すいませんね、大きくなってかわいくなくて」と苦笑いを浮かべた。そして一軒の小さなレストランの出入り口から手を振っている。
「早くー! 今日はお肉が食べたいのっ」
 ロスフィアはそう言ってラグの手を引き、店の中へと引っ込んだ。
「相変わらず好きみたいですね、ハンバーグ」
 アシューは笑いながらレストランのドアをくぐった。


 日も落ち、エアフレイン城の中庭にオレンジ色と紫の入り混じる光りが差し込んでくる。
 中庭にいるレッダーに、アシューは触れた。レッダーの長細い顔の横についた丸い耳の裏を軽くかき、そのふっくらとした頬に顔をすり寄せる。もう一頭のレッダーがアシューの背後を鼻先で軽くつついた。
「早く走りたいんですね。本当に優しい子だね、君たちは」
 アシューは呟き、レッダーの口にそれぞれ魔石を放り込んだ。二匹はバリバリと軽く噛んで魔石を飲み込むと、前傾姿勢をとった。アシューは車の部分の窓を軽く叩き、「それじゃ行きますよ」と声をかけ、御者台に乗った。
 御者台に乗ると、ロスフィアが近くに寄ってきた。
「貴方が無事で戻ってくることを祈ってる。そのつもりで他の賢者の行方を捜しておいてあげる。大丈夫、貴方はまだ賢者に戻れる」
 ロスフィアはそう言って杖を取り出し、円を描くように軽く振った。
「貴方にご加護がありますように」
「ロスフィア、あなたにも」
 アシューとロスフィアは簡単な挨拶を交わした。アシューはレッダーをつないでいる手綱を軽く引いた。するとレッダーたちはゆっくりと歩き出し、徐々に足を速めていった。そしてゆっくりと弧を描くように走り出す。庭を半周したころ、レッダーの足が宙を蹴り始めた。
「本当に空を駆けることができるようですね」
 アシューは驚いたように呟くと、レッダーに任せるかのように手綱を緩めた。
「後はよろしくお願いしますよ」
 そうレッダーに話しかけると、二匹は甲高い声で鳴いた。さらに加速をすると、そのまま城の塀を飛び越えた。同時にアシューの顔をモヤが包み込んだ。
 アシューが軽く後ろを振り返った時にはもうエアフレイン城はモヤの中に包まれほとんど見えなくなっていた。
 しばらく手綱を握っていたアシューだったが、身を軽く震わせ、レッダーに話しかけた。
「このまま進路を変えず進んでください。もちろん疲れたら止まっていただいても結構ですよ。何かあったら鳴いて教えてください」
 アシューの言葉がわかっているのか、レッダーは首を持ち上げ、軽く顔を横に向けた。そして走る勢いを緩めた。揺れがなくなり、アシューは車の横の窓を身を乗り出して叩いた。
「開けてください」
 アシューの言葉に答え、レーヴェレスが窓を大きく開けた。その窓に、アシューは身を滑り込ませた。
「ふぅ、窓が狭く感じますね。おや、ラグはなんてうらやましい」
 ラグはレーヴェレスの膝に頭を乗せ、軽く寝息を立てていた。
「ええ、誰かさんと違って安心できるのよね、ラグなら」
 レーヴェレスはラグの髪をなでながら答えた。その答えにアシューは肩をすくめた。
ラグはその長身をうまく丸め、そう広くはない車の座席の上に横になっていた。アシューはなぜ二人で狭い方に座っているのか聞こうとして、止めた。
「チビレッダーもついてきちゃったんですね」
 アシューは対面の座席の上のど真ん中でクークーと寝息を立てているレッダーの首根っこを持ち上げた。
「小さいのに贅沢ですよ」
 そう言ってレッダーの代わりに自分が座り、その膝の上にレッダーを乗せた。
「ところで御者してなくて大丈夫なの?」
 レーヴェレスが不安そうな面持ちでアシューに問い尋ねた。アシューは頷き、答えた。
「ええ。昔私の召喚獣であったものの子孫です。ディスローダ級の獣とは違って自我はほとんどありませんが、それでも賢いものたちです。私が居なくなった後もあの城に住み続けたということは、契約を続行させているからでしょう。私が、ではなくレッダー自身が」
 アシューはそう言って軽く目をつぶった。
「なぜ、私にここまで恩義を感じてくれるのかはわかりません。ただ妖精たちになついているだけかも知れませんし」
 小さくあくびをするアシューに、レーヴェレスは真剣な眼差しで声をかけた。
「アシュー、精霊王ライシャってどんなヒトだったか教えて……」
 切実な眼差しに、アシューは少し戸惑ったように目を泳がせていたが、ため息をつくと口を開いた。
「明るくて気さくな男でしたよ。城に住んでいた妖精の全ての名前を覚えていたに違いない、と言えますよ。たぶん私と違い、外見だけでなく性格でもとても女性に好かれていたかと思いますよ――城に居た時の続きでも、話しましょうか」
 アシューがそう言うと、レーヴェレスは遠慮がちに頷いた。アシューは鞄からカップを二つ取り出すと、ココアを入れた。カップの一つをレーヴェレスに渡すと、一口すすり、ほっとため息をついた。そして目線を暗くなってゆく外へと向け、話始めた。

     *     *     *     *
 精霊王ライシャに瞳の中をのぞき込まれ、私は頭の中がボーッとしたのは覚えている。フッと体から力が抜け、気づいた時には小さな子のようにライシャに体を抱きかかえられていた。
「そうか、お前も賢者ヴァルドの記憶を抜かれているのか……かわいそうにな、だがまだお前には真実を話すべきではないのだろう。まだ、若すぎる」
 ライシャはそう呟き、私をいつの間にかベッドに横たえていた。その背後から心配そうなロスフィアの姿があった。
「さて、お子様を寝かしつけて我々は大人の遊びでもしますか」
 ライシャは楽しそうに言い、ロスフィアの肩を抱いた。私は思わず身を起こし叫んだ。
「彼女に触れるな」
 そう叫んだ途端、激しい頭痛に襲われて私は呻いた。
「そうやきもちを妬くな。そうだからお前はまだ若いと言われるのだ」
 ライシャは私を子供扱いし、笑った。いつもは冷静でいた私だったが、この男に言われるとなぜか落ち着きをなくしていた。たぶん心の片隅でロスフィアと言う存在を取られるのが、私のプライドが許せなかったのだろう。それを見透かしたのがライシャだった。
 ライシャはなぜかロスフィアを部屋から追い出すと、私と二人きりになった。そして私の髪をなでながら言った。
「お前はまだ小さいのだ。賢者になって何年になる? あのエンデガルドがお前の元にやってきてから」
 私はしばらく黙ったままだったが、何度もなでられているうちになぜか落ち着きを取り戻し、答えた。
「一年、 ぐらいだ。だが良く覚えていない……」
 また、頭の中で何かがうずき始めていた。うずきは痛みになり、自然と顔に苦痛が表れる。
「頭が痛むのか」
 ライシャは声を低め、優しく言葉を発すると、私の額に手を置いた。
「眠るといい。この国を明日、救うんだろう」
 ライシャはそう呟くと、部屋を立ち去った。私は一人薄暗い部屋に残された。頭の痛みはライシャが持ち去ったかのように、なくなっていた。


 それからエヴィエンドの魔物を狩るのに、何度かライシャの城を頼りにした。初めてライシャと出会ってから半年後。私はライシャに呼び止められた。
「アシューズヴェルト、話がある」
 いつになく深刻そうな表情に、私は少し嫌なものを覚えた。ライシャは私を一室のソファーに座らせた。そして、腕組みをすると窓の外を見ながら言った。
「この城をお前にやる。なんかそんな気になった。ってか俺、レモド行くわ」
 わかりやすい男でもあった。  私はため息をつくと、立ち上がった。
「ロスフィアの同意さえあれば、私は何も言いませんし、魔物を狩るのには調度いいし……それにあまり広くない国に二つ城があるのもどうかと思いますしね」
 と、ライシャは私の両手を握った。そして激しく上下に手を振ると、次に抱きしめてきた。
「ありがとう。本当にありがとう! いやーもう出て行く準備はほとんど終わっちゃってるんだな。ほとんど持って出るものないし、もう城妖精には言ってあるし」
 強引な男だ、とかねてから思っていたことが思わず口からこぼれていた。
「強引な人ですね。いえ、精霊王ですか」
「あははは、仕方ないんだって。それに俺そろそろ精霊王引退なわけ。いい加減枯れかけた体だと辛いんだわー。で、一つだけ注意がある。この城だけはなにが何でもエンデガルドを呼ぶな。まぁ新たなる女賢者レスティカとやらも呼んでは欲しくないんだが……女を微笑みで落とすお前だ、たぶん無理だな」
 露骨に嫌味を言われた気がしたが、とりあえず冷静を装った。その頃の私はまだレスティカを賢者として認めていなかった。ロスフィアやレーヴェレスには悪いが出すぎた魔女風情としか思っていなかった。確かに外見はとても綺麗で愛らしかったが、その瞳の中の冷ややかなものが好きにはなれないでいた。
「私と、レスティカの間に何かが起こることは、今までもこれからもないことだ」
 言い切る私の頬を、ライシャは両手で挟んだ。
「なぁ、お前が女の子を一人徹底的に嫌う理由はなんだ? 他の女の子はほとんど受け入れるのに。その理由、お前は考えたことあるか? それに気づきかけたら、きっとお前は彼女を好きになる」
 ライシャの言葉を理解できたのは、それから数年後だった。つまり彼は私の何もかもを見透かした男だったのだ。エンデとは違い、私の心の硬かった部分を柔らかくした……そんな男でした、レーヴェレス、貴方の父親は……

     *     *     *     *
 アシューはそう言って話を締めくくった。対面に座っていたレーヴェレスはさびしそうな微笑を浮かべていた。
「やっぱり、そうだったんだね。たぶんママ――ロスフィア様は私が精霊王の生まれ変わりであると思っていたのにね、私はそうではなかった……」
 アシューはゆっくりと首を左右に振った。
「いいえ、それは違います。ロスフィアは貴方が精霊王の力を持っていなかったことを安堵しています。もしかすると手に届かぬ人になってしまうことを恐れた。でもなぜ私を守れと? 精霊王としての力が呼び起こされることを望んでいるんでしょうか?」
 アシューはそう言って、レーヴェレスの瞳をのぞき込んだ。レーヴェレスは真っ赤になって体を硬直させた。アシューの頬を叩きたいのだろうが、その両手はアシューに押さえつけられていた。
「覚醒したとしても、私を守れるとは言いがたい、ですよね」
 アシューはレーヴェレスから離れ、あくびを一つした。
「私も膝枕、して欲しかったです」
 そう呟くと瞳を閉じた。レーヴェレスは赤くなった顔を手で扇ぎながらアシューをにらんでいた。そして軽く息を吸い、吐き出すと同時に叫んだ。
「アシューの女ったらし!!!」
 そう言ったレーヴェレスに、アシューは「貴方の父上には負けますよ」と小さく反論した。
 レーヴェレスの叫び声に驚き飛び起きたラグは、頭をしたたか天井にぶつけた挙句、バランスを崩して床に転がった。

 アシューらを乗せたレッダーは、夜霧が漂う森を眼下に空を駆けていた。風が車の窓を時々小刻みに揺らすが、その音さえも少し心地よいものに感じられる。
 アシューはふと目を開けた。目の前ではラグとレーヴェレスが寄り添うようにして眠っている。二人の合い間の小窓から御者台を見ると、半透明に透けた小さな雪の妖精が何匹か手綱を持って遊んでいた。アシューはしばらくその姿をほほえましく見守っていたが、ふと横の窓へと顔を向けた。すると目の奥が赤く光った。
<深淵の居場所を突き止めている。そなたの片割れなのだろう、彼は>
 ディスローダが自分の子の体を通して語りかけでもしているのだろう。
「言っている意味が、良くわかりません。深淵は確かに私の影から作り出したものですが、今は自由にどこかへ行っているでしょう。今更私の元になど戻ってこない」
 アシューはそう言って目を閉じた。目を閉じたところで、ディスローダとの会話が終わるわけではないことはわかっているようだが、一人になりたかったのだろう。
<深淵がどうして生まれたか、そなたは知らないのか>
 アシューは薄っすらと目を開け、少し乾いた下唇を舐めた。
「深淵は私の子供心が生んだ幻想だ。ずっと無償で仕えてくれた。お前たちと違って、私の力を食らおうとするのではなく……悪意には取らないで欲しい」
 アシューはそう言葉を切って、かたわらでとぐろを巻くようにして眠っているレッダーの幼獣を膝の上に乗せた。
<わかっておる。しかし>
「そうでもしなければ他の獣たちに示しがつかない、そう言うことだろう。人がそんなに好きなのか」
 アシューの問いかけに、ディスローダは黙した。だがしばらくしてため息と共に返答した。
<我とて全ての人を嫌いではない。同じ獣に好きになれぬ奴がいるのと同じこと。それにそなたには深淵が必要なのだ。そなたが生き残れたのは深淵が居てからこそ。そなたには深淵を探し、再び迎え入れる義務がある……>
 ディスローダはそう言い残し、アシューの瞳の奥から消えた。ディスローダの気配が消えた途端、アシューは苦しそうに息を吐いた。その額には薄っすらと汗が浮かんでいた。
 汗をぬぐい、アシューは窓の外を再び見つめた。
「どうやら車の中を暖めて行ったようですね」
 ディスローダの好意に、アシューは背もたれに軽くもたれかかり、そっと目を閉じた。ふと何かが近づく気配がして、アシューは目を開けた。
「賢者さん、大丈夫? 熱あるんじゃないの?」
 ラグがささやきながらアシューの額に手を当てた。
「薬の効果が切れてまた風邪が再発したか、もしくは呪いを解いた反動でしょうか。いずれにせよ予備の解熱剤は持ってきていますから」
 アシューはそう言ってカバンから小さなビンを出し、中の薬を何粒か飲み干した。
「薬、効いてるからいいみたいだけど、本当はまだ寝てなきゃいけなかったのに」
 ラグは少し怒ったように厳しく言った。アシューは首を左右に振り、笑った。
「子供じゃないんですから。ずいぶんと心配症な妖精なんですね」
 アシューに軽く流され、もう一言小言を言おうとしたラグだったが、不意に窓をのぞき込んだ。そして窓の外を指差して言った。
「下に国境の明かりが見えるね。エヴィエンド側に光りの列ができてる」
 ラグの指刺す方向を見ると、暗い闇の中にポツポツと光りが一直線に並んでいた。レモドの国を出た人々がテントでも張っているのだろう。
「綺麗ではあるが、あの光りはないほうがいい……」
 アシューはそう言って、窓から離れた。そして青のローブを胸元にかき寄せる。
 ラグも窓から離れてレーヴェレスを体にもたれかからせた。
 アシューはその様子を見て、呟いた。
「ずいぶんと彼女に気に入られているものですね」
 アシューの呟きに、ラグは小さく笑って答えた。
「妬いてるの? でもこれはきっと賢者さんを好きにならないようにしているだけだよ。女の子って、三種類いるみたいに俺は感じたよ。一人はロスフィアみたいに人懐っこくて甘えてくる子。もう一人はレーヴェレスみたいにちょっとつんつんしちゃう子」
 ラグの意外と大人っぽい言葉に、アシューの口元に自然と笑みが浮かんだ。アシューはアゴをなでながら言葉を詰まらせるラグに言った。
「三つ目は?」
 意地悪なアシューの質問にしばらく悩む様子を見せた後、ラグは答えた。
「たぶん、賢者さんが好きだったレスティカ。大人っぽくて、クールな女性」
 アシューは笑みを浮かべるのをやめ、目を細めた。
「レスティカ……別に私は好きだったわけではなく、ただ彼女と一緒に居るのがいつしか当たり前になっていただけですよ」
 アシューは冷たく言い切ると、耳を貸すつもりはない、と言った様子で体を深く座席に埋めて目をつぶった。
 ラグはバツが悪そうに黙り込むと、あくびを一つして目をつぶった。
 その間にレッダーは国境を飛び越えた。月の光りを浴びて銀の波を打つ草原を眼下に、レッダーは走る速度を緩めて行った……


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