二章 7



          *          *


 レモドの草原を、風が吹きぬけた。その風に、ラグの茶色い髪がなびく。
 顔にかかった髪をかきあげ、ラグは不満そうに呟いた。
「賢者さんに追いたてられて来ちゃったけどさ……サブッ」
 一瞬立ち止まり、身震いをすると再び歩き始めた。
 手に握っている紙をちらりと見やり、微かに歩く方向を変えた。
「どこなんだろ、この場所って。村の人が言う魔物の巣って言うのと、賢者さんが言っていた魔物の類は一緒だと思うんだけど。ホワイトとかシルバーとかブラックって何?」
 ラグの口から出た大きなあくびが、白い息となって風にかき消された。
 それからしばらく歩いたところで、ラグの足がピタリと止まった。目の前には湖が空を映していた。その背景には森が存在していた。湖の周りには、獣人や獣の姿が若干見られる。
「ここ、かな? ここ、だよね?」
 ラグはそう言って、虚空に質問を投げかけた。そして、湖の側を足早に通りすぎた。
「魔物の巣ってさ、魔物がうじゃうじゃ〜って居るのかも、って思ったんだけどな……」
 ラグは木の間を擦りぬけながら呟いた。
 丁度通りすがりの獣人が、四角く垂れた耳をパタパタとさせながら言った。
「うじゃうじゃいるよ。最近特に増えているからね。昔の戦の後に水が溜まって数多くの湖ができてる。だから木も密集して生えているし。その環境がより魔物を呼び寄せやすくしている――気をつけるんだよ、早朝でいくらか動きが鈍いとは言え、この国の名物は昼夜関係なく行動するからね」
 そう言って通りすぎた男は薪を背負いなおし、歩き出した。
「あ、ありがとー」
 ラグは笑顔で礼を言うと、森の中へと歩を進めた。
「それにしても、賢者さんの力がこんなところまで力を及ぼしているって、凄いね。まだ賢者さんの力って決まったわけじゃないけど」
 そう言いながら、ラグは辺りを見まわした。
 森の中は、草原に比べていささか暖かさがあるような気がした。と言うのも、吹きぬける風がないからだろう。そして、先ほどの通りすがりの獣人が言っていた通り、水たまりに近いような湖が点在していた。直進しようとしても、少し大きな湖は飛び越えることが厄介で遠回りになる。その不快さは、ラグの顔を少し曇らせた。
「ってーか、ちょっと危険なんじゃないのッ、賢者さん……」
 風でザワザワと騒ぎだす森に、ラグは思わず身構えた。風と木々が共謀して奏でる音は、他の足音や魔物の気配を消す。
「まだ朝食前の魔物がいたらどーしよう。倒せないことはないと思うけど、不意打ち食らっちゃうと危ないよね。妖精サイズに戻って逃げることが難しいからさぁ」
 ラグはそう言って、背中を木に付けてため息をついた。ふと目をつぶり、上を見上げる。
 ふわり、ふわりと淡い光の粒が、ラグの上に降り注いできた。木の柄だの合間から、小さな顔がのぞく。目を閉じたまま、ラグは手を上へと向けて開いた。上を妖精が飛び交い、沢山の光の粒が舞い降りる。

 長い時が経った頃、ラグは目を開けて何事もなかったように歩き出した。
「森の奥、大きな亀裂のある岩場かぁ。そんなには遠くないって言ってたけど」
 ラグはそう言って、立ち止まった。そして、右前方をじっと見つめた。
「泣き声が、する?」
 ラグは向きを変えて、耳に感じ取った方へと歩きだした。

 ラグが呟いた通り、泣き声が聞こえてきた。それは泣き声と言うより鳴き声。ビィー、ビィーと少しだみ声が聞こえてくる。木の合間から、獣らしき姿がちらりと見えた。だが、魔物の巣と呼ばれている事を考えると、魔物の一部であることも考えられなくもない。
 ラグは鳴き声から一番近い茂みを見つけ、そこに身を潜めた。葉を少しかき分けて、鳴き声の主がなんであるか目をこらした。
 鳴き声の主は、灰色の毛玉だった。正確に言えば、毛玉からは四つの足が生えていた。更によく見ると――
「レッダーの幼獣?」
 体を丸めて足を必死に舐めては鳴き声をあげる、を繰り返している。どうやら後足が何かに引っかかっているようだ。
「なんだ、罠にかかっちまったのかー」
 ラグは茂みからほふく前進で抜け出た。
 音に怯えたのか、レッダーの幼獣はシューッ、と威嚇の声を上げた。
 ラグはしばらくレッダーを見つめていた。いつまでもうつ伏せになっているのが疲れたのか、立ち上がってレッダーに近づいた。だが、ラグは目を細めて耳を軽く動かした。どうやら殺気を感じて動きを止めたようだ。
「母親? だったらすぐに姿を現しているはずなのに」
 ラグは目線をゆっくりと移動させていった。茂みが揺れるなどの動きはないが、何かが潜んでいるような気配はあった。その気配も、どちらかと言えばレッダーを狙っているというより、レッダーに気づいて近寄ってきたラグに殺気が向けられているような感も有あった。
 ラグはレッダーと殺気とを頭の中で天秤にかけていた。レッダーを救うべきか、それとも殺気の主を明らかにするか。
 レッダーを救いに行けば、殺気の主も姿を現すかもしれない。だが、次の一手がわからぬ限り、行動に移すのは危険かもしれない。
 ラグは再び周囲に目を巡らせた。
「罠にはまったのは俺の方だったかな……」
 ラグはそう言って立ち上がった。
「罠にはまったとわかったら、別に隠れる必要もないし」
 服についたほこりを払いながら、ラグはレッダーに近づいた。静かだったのは一時だけだった。羽ばたきの音が聞こえると共に、何かを切り刻む音が聞こえた。見るとマントが見事にボロボロになっていた。露出していた手の甲にきれいな赤い線が刻まれていた。
 周囲を見回すが、そこに気配はなかった。
「なんだったんだろ……」
 そう言って、ラグはしばらく黙ったままだったが、やがて手の中にいるレッダーを見やった。その足には鎖がついていた。だが、その鎖の先端は砕けて自由になっていた。
 ラグがレッダーに目線を戻した途端。
 バチン! と大きな音がして少し先の地面でトラップが大きく跳ね上がった。
「あぶなっ。典型的なトラップだけど……なんで鎖だけ……」
 ラグがそう言ってレッダーの足を見ようとした途端、手にレッダーが噛み付いた。さほど強く噛んだ感じはないが、ラグは切なそうな表情をしてレッダーの鼻面を指ではじいた。
「助けてやったのに。でも、殺気が消えてる。何でだろ?」
 ラグは気配を最後に感じた方向を見つめた。その背後から、また音がした。素早く振り返ったその目の前に、獣の口があった。
「うわっ」
 よける間もなく、ラグの顔を舌がおおった。目を開けるよりも前に、頭上から声がした。
「何してるんですか、こんなところで」
 少し覚めたアシューの声だった。
「な、なにって、賢者さんが言ったから。って、何乗ってるの!?」
 ようやく顔をベロベロに舐められた獣の上から声がしているとわかったのか、ラグは食ってかかった。だがアシューは答えを返さなかった。
「とりあえず乗ってください!」
 アシューにせかされ、ラグは眉をしかめたままデカイ生き物、ラモゥに飛び乗った。しばらくゆっくり歩いていたが、そのうちにラモゥは勢い良く走り出した。
 走り出したラモゥに激しく揺さぶられながら、ラグはアシューの背に怒鳴った。
「何っ、これ! あと賢者さんが言ってたのって何のことっ!?」
「ラモゥです。どうせ私の言ったものはあなたに捕まえられるとは思っていなかったし、たぶんどのことだかわからないから捕まえようもない。そう思って借りてきてしまいました」
 アシューはそう答えるとラモゥの頭をなでた。ラグは肩を落として「信用されてない」とさびしそうに呟いた。
 少し経ってから、ラグはアシューの前に居る女の影にようやく気づいた。
「御者つきなの?」
「違うわよっ!」
 素早い返しがあった。返したのはもちろんレーヴェレス。
「おチビの保護者? その割にはマヌケね。魔物の巣に一人で行くなんて。魔物だけじゃなくてハンターの罠があるところにね。ところでそのレッダーは」
 レーヴェレスはいまだラグの手に噛み付いてぶら下がってるレッダーを指差して言った。
「おあ! そうそう、これ罠にかかってた」
 ラグはそう言ってレッダーの首をつかんだ。レッダーはようやく口を離した。そしてビィビィとだみ声で鳴き声を上げ始める。
「正しく言えば罠に使われてた。拾うときに違う方向から行ってたらもろに罠にかかってたかも」
 ラグは軽く跡のついている手をなみだ目で見つめながら言った。血が出るほどは噛んでいないようだ。アシューはレッダーの首をつかんで口の端に指を突っ込んだ。するとレッダーは口を軽く開け、そこから小さく丸い牙が見えた。
「牙の大きさから言うと、生まれたばかりですね。まだ抜け変わる前のようです。ほら、少し歯がぐらついているし、横から新しい牙が生えてきている――それにしても珍しい。親はもう居ませんね。罠に使われていたぐらいですから」
 アシューはレッダーの首をかいてやった。全体はこげ茶色で、手と足に白いソックスを、首の周りにマフラーを巻いているかのように白かった。
「賢者さん!」
 ラグの勢いづいた声に、アシューはため息をついた。
「飼いたい、とか言い出すんですよね。どうせとめても無駄なので勝手にしてください。レーヴェレス、もう少し急げますか?」
「了解。でも何でそんなに急いでるわけ?」
 レーヴェレスは軽く返事をすると鞭を入れてラモゥの速度を上げた。
「急いだ方がいい事もあるんです。私の直感ですが」
 そう言ったアシューに、レッダーをかまいながらラグが言った。
「ところでどこ行くの?」
 レッダーはラグの腕の中で眠り始めていた。
「城に戻ります。エアフレイン城にね。どうやら彼女が私の城を保管していてくれたようですから。そこに戻れば話が早いでしょう。それに、エンデかレスティカが生きているかも知れませんから……」
 アシューの遠くを見つめるまなざしに、ラグはそれ以上何も言わなかった。
 空からは乾いた風に混じり、雪がちらつきはじめていた。その中を、三人と一匹を乗せたラモゥは比較的早い足取りで国境へと向かっていた。



Next
TOP
NOVELTOP



本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース