二章 3


 ドラゴンの背から見る閉ざされた地、エヴィエンドはとても美しかった。大地はすっかり霧に覆われ、雪がすぐ目の前をちらついていた。その様子は美しさと共に、時が止まっているようにも見えた。魔物の鳴き声どころか、鳥の声さえ聞こえない。
「まだ、雪は降り始めたばかりのようね。エヴィエンドって、年がら年中雪に覆われているイメージばかりだったけれど」
 ロスフィアは大げさに肩を震わせた。私は彼女を背後から抱きしめ、青いローブで包んだ。
「寒がりなのは猫の血のせいか」
 私の冗談を含んだ台詞に、ロスフィアは笑った。
「まぁね。ところで、どう言う手段で国境を壊すの?」
 ロスフィアはすぐに話しを本題に移した。どうやら寒がりなのは本当のようで、無償の仕事をさっさと終わらせたいようだった。私は軽く首を横に振り、ロスフィアに答えた。
「国境を破壊するつもりはありません。私も一つ国を持とうかと」
 すると、ロスフィアは驚いた様子で私を振りかえった。
「誰もいない地を支配するの?」
 私は首をゆっくりと横に振った。そして、ロスフィアの耳を指先で撫でた。
「いいえ。あまり魔女の棲み家を転々とするのもよろしくないのかと思いましてね。かと言ってエンデの所に長らく居るのは忍びない」
 ロスフィアは耳を不機嫌そうにパタパタと小刻みに動かして私の指を弾いた。
「それって、エンデガルドの所に長くいる魔女がいるからでしょでしょ? なになにっ、居ずらいのー?」
 ロスフィアはそう言いながら、私に詰め寄った。彼女は、自分の興味のある話題になってくると、必ず二度同じ言葉を繰り返す。
「居ずらいですよ。レスティカと名乗っているそうですが。どこの国の者かははっきりとしていません。けれどあのエンデが何も言わずに側に置き、なおかつ自由にさせているところを見ると――相当の魔力の持ち主なのでしょう。たぶん、私とエンデと同じ」
 私の言葉を聞いて、ロスフィアは頬を少し膨らませ、眉間にしわを寄せた。普段闘志溢れた人相をしている彼女がそれをすると、とても可愛く、またおかしく感じられた。
「えぇー、前の女賢者が居なくなってからそんなに経ってないじゃない。そうそう次が見つかるはずがないのに……って、アッシュは何がそんなにおかしいの」
 私が笑っていることに気がついたのか、ロスフィアはそう言って私の喉を軽くつねった。
「いえ、別に。そうですね、前の賢者ガレリアの生きている気配が消えてから三ヶ月でしょうか。彼女は高齢だったようですから、後継者を密かに残して去ったのかも知れませんね。歴代の賢者と呼ばれた者達はそうして引き継いできたようですが」
「へぇ、そうなんだ」
 そう言ったロスフィアは、目を輝かせていた。

*          *          


「って、ちょっと待った!」
 そう言って、アシューの話しをラグがさえぎった。アシューは不機嫌そうに目を閉じた。
「何か質問でも?」
 アシューの言葉に、ラグは何度もうなずいた。
「その、引き継いできたってどう言うこと?」
 ラグの質問に、アシューは唸った。
「私も良く分かりません。気がつけば私は賢者と呼ばれるようになっていました。別にエンデに認められたという訳でもなかったですし」
 アシューは、記憶が奥底にしまわれ、なおかつ鍵がかけられているかのような感覚に陥っていた。あえて言うのなら、その鍵もどこかへ行ってしまったかのような感じがしていた。
「ま、いいやぁ。取りあえず続きを聞かせてよ」
 ラグはそう言うが、アシューは黙ったままだった。
 ラグは心配そうにアシューの顔をのぞきこんだ。そして、虚ろなまなざしで天井を見上げるアシューを揺すった。
「賢者さん?」
「レスティカに聞いたことがあります。賢者はなぜ賢者と呼ばれるのか。すると彼女はこう言った。魔物がこの世界から消えれば、賢者の必要性がなくなると。その意味までは教えてもらえませんでしたが」
 アシューはそう答えたが、ラグはまだ不思議そうな顔をしていた。そして、ふと手を横に振って言った。
「そうじゃなくてさ。引き継いできたって、その過程がどうやって生じてるのかなーと思って。賢者さんの力が具現化していることと関係あるのかな?」
 ラグに言われ、アシューは左の眉をピクリと動かした。更にあごに手を当てて呟いた。
「そう言われれば……私を始めとしてエンデもいつ賢者として名が通るようになったんでしょうか」
「賢者さんがそう言うんじゃ、わからないじゃーん。でも、次の賢者が現れていないところを見ると、まだ全員生きてるって事かな」
 ラグの言葉に、アシューの瞳が大きくなった。その瞳は好奇心と微かな希望が光っていた。
「まだ二人が生きている……」
 アシューは勢い良く起き上がり、落ちつかない様子で歩き回り始めた。
「賢者の力の継承の方法がどうあれ、それがなされていないことは確か。それにレスティカの言葉が真実だとしたら、賢者の必要はまだあると言ったところか」
 アシューは言葉を切ると、カバンの中を漁り始めた。そして、レモドに来る途中で購入した本を取りだした。“賢者の石”とタイトルのついた本。それと一緒にグローブを取り出した。
 ラグは、何かを調べ始めたアシューに言った。
「話しの続きはー?」
 アシューはランプの光を少し強めると、答えた。
「また時間のある時にでも。西の都の方面で発生している魔物と、私の賢者の石とは別物かも知れません。もしも、賢者に後継者がいるのならばの話ですが。あるいは突然に賢者が命を失い、力を引き継ぐ者を決めていなかったのなら――」
 アシューはそう言って、ラグを見やる。
「力は石に姿を変えて、賢者にふさわしいものが現れるまで待つって事?」
 アシューはラグの導き出した答えに、ゆっくりとうなずいた。
 ラグは腕を組み、カバンの上に無造作に置かれているグローブを複雑そうな面持ちで見つめた。
「賢者の石……これと同じ力を持った石が後二つどこかに散らばっているのかな。でも、どうして賢者さんの記憶がないのかな。石を拾っても、誰かから受け継いだとしても、鮮烈な記憶には違いないと思うんだ。だって、そうでしょう? もしも継承したのなら、それまでに魔術がどう言うものかを教えてくれた前任の賢者がいるはずだし、石として受け継いだとしたら、いきなり力の増えたその日を忘れる筈がないと思うんだ」
 ラグの考えを聞いて、アシューは「それもそうですね」と呟きを返した。
「それと、私が生きているのにも関わらず、賢者の力が石となったことも気になります……」
 アシューの喉から、少し覇気を失った言葉が漏れた。それから数秒遅れて、深いため息が漏れた。
「私が力を失ったのは、心に恐れが現れたからでしょうか……それとも、人々を守り導くべき力を、己が為に使ったためでしょうか」
 アシューは天を仰ぎ見た。アシューの目に、天井からつるされたランプが写りこむ。
 ランプの炎は不規則に揺らめき、アシューの瞳から輝きが消えた。
 ラグは、アシューの思考が内側へと入りこんでいくのをしばらく見つめていたが、ふと手を伸ばして天井のランプを消した。
「賢者さん、疲れてるんだよ。きっと考えても何も結論はでてこないと思う。無駄に考え込んで自分を追い詰めるより、真実を目にしようよ」
 ラグは、アシューの手もとのランプの光も弱めていった。アシューはしばらく無言でいたが、諦めたようにうなずくとコロリと横になった。そして、膝を胸元まで引き寄せ、目を閉じた。
 アシューの一部始終を見守っていたラグは、頭に爪を数度走らせてため息をついた。やがてラグはまるでアシューを守るかのように、アシューの背面に横になった。
「……寒い」
 ラグはふと呟いたかと思うと、腰を二度アシューの方にずらし、次いで上半身をアシューの背中にピッタリとくっつけた。
「お子様の体温は暖かくっていーよねー。いつもは俺の方が小さかったからお子様の胸ん所とか入ってたけど。大きくなってからは始めてかー」
 ラグは少し楽しそうに呟いた。
「私は気持ち悪いですよ。大の男に擦り寄られて」
 アシューの言葉に、ラグは口をへの字に曲げた。アシューから擦り寄ったのと同じ回数離れると、「賢者さんのいじわる」と小声で言った。



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