3.仕事―3


 数百年の間、ヴァンパイアの住む場所とされてきた敷地は広く、放置されたままだった。
そのためか、数百年前では小さな苗木だったものでも、今では立派な巨木にまで成長して
いる。その木々には長い間光が差し込まないためか、昼間でも薄暗くて苔が地面を覆い尽 くbr>している。また、嵐や雷などで倒れ、朽ちかけた巨木もあり、中に小動物が生息してい
る気配も見せる。
 どんな足のものでも、二日程度とアルの持ち出した本には書かれていたが、この深くな
ってしまった森では、三日かそれ以上かかってしまう可能性もあった。一応、それなりの
準備はしてきたつもりではあったが、実際足を踏み込ませると多少の不安はつき物である。
 それが思いっきり顔に出ているのがアルであった。アルは、鳥の鳴き声にいちいち反応
を示してカヲルの顔に怒りの度数を加えていった。獣の鳴き声を聞いた時などは、カヲル
に抱きつき、殴り倒されるということが何度かあった。

 日が落ちかけてきたところで、野営地を見つけて火を点した。煙を立ち上らせて、バド
への目印の意と、下級の獣らを寄せ付けないためである。賢い魔獣であれば、人を襲うこ
とはない。襲ったら最後、その形状からすぐに狩られることを知っているからである。魔
獣には、人間でありながらも獣へと変化を遂げるものも含められている。一般的には獣人
と呼ばれて、個人的に身分を隠してはいるが、存在はしているのだ。
 日が完全に落ちて、テントを張り終えたころ、バドが姿を現した。
 バドはカヲルの姿を見るや否や、口を開いた。
「ご主人、傷だらけですね。怪我、手当てしますか? 一応救急箱持ってきてみたりした
んですが……」
 バドは、何かを言いかけるカヲルの言葉をさえぎった。
「ほら、ご主人、触れられるの好きじゃないみたいですから。かすり傷だったら触れるだ
けで何とかなるんですけど、ほら、肘のところ、切り傷。小さいですけど、深いですよ」
 バドはカヲルの袖を捲り上げると、消毒液を綿に含ませて傷跡を軽く叩いた。
「これぐらい……」
「だめですよ。森にはいろいろな菌が生息しているんです。原因がわからないと、病が発
生しても対処しにくいですからね、っと。他に傷はないみたいですね。血の匂いが消えま
したから」
 バドは満足げに頷くと、肘に大きな伴奏膏を貼り付けた。
 なにか複雑な面持ちで伴奏膏を見つめるカヲルに対し、バドは持ってきた食材でいそい
そと食事の準備を始めていた。
 鳥に塩と胡椒、ハーブなどの香味をあらかじめ下準備しておいたものを焼いている。
 そこへ、テント一つを立ててくたばりかけているアルがやってきて近くにあった倒木に
腰掛けた。肉汁のたれる鳥を目に、手が伸びる。
 アルのその手を、カヲルが静止した。
「まだ仕事は終わっていない。あれは俺が寝るためのものだ」
「えっ」
 やや間があって、アルは驚きで答えた。
「えじゃない。さっさとしろ」
「うう……」
「あ、僕がやっておきますよ。アルも疲れているみたいだし」
 バドはもう一つのテントを簡単に組み立てあげた。それをアルは小さくなって肉を食べ
ながら見ていた。

 夜も深まり、カヲルはバドに「頼んだぞ」と一言残し、テントに入った。アルも、バド
に「昼間、寝ましたからどうぞ」の言葉に、テントに入るのだった。
 バドは、二人の気配が眠りに入ったのを悟ると、黒いマントをはおり、手に白い手袋を
はめた。そうすると、どこかの貴族のように見える。実際、貴族の出身なのだが……
 バドは、持ってきた荷物の中から、小さな袋を取り出した。袋の中からは、透明な三角
錐の石が数個、出てきた。それを、テントの周りに置いた。
 石の設置が終わると、バドは呟いた。
「そろそろ……始めますか」
 バドの口元が、少し嬉しそうに歪んだ。
 バドは、何の前触れもなく空に浮かび上がった。人間の数十倍を越す脚力で跳躍したた
め、そのように見えたのだ。
 5メートルはあるかと思われる巨木の中腹の枝に着地するやいやな、ナイフを下方に向
けて投げた。
 次の瞬間にはバドの姿は視界から消え去り、金属と金属が交わったような音が夜深き森
に木霊した。
 月がゆっくりと顔を出し、月の光に森の一部が浮かび上がった。
 その月の光の差し込む場所に、バドはマントを広げて着地した。続いて、何者かが低く
構えたままの体制で着地した。
 着地をしたもう一人は、身を起こして月の光の方へと進み出た。
「獣人か」
 バドは小さく呟いた。
 形状は人であったが、その細部は獣であった。体毛は濃く艶やかであり、顔つきは鼻と
口が前に突き出た狼のようであった。
 獣人が口を開いた。
「なぜ貴様は下級生物である人と行動している? それとも、ハイネ様への貢物か?」
 獣の顔を醜く歪めて笑いの表情を作る獣人に対し、バドは真顔で答えた。
「ハイネがお前の主であるように、あの人が僕の主人だ。お願いだから引いてはもらえな
いか? いつまでも人と争っていてもいいことはない。同じ形をしているのだから」
 バドの言葉を、獣人は怒りのこもった声で遮った。
「笑止! 人間なんぞに飼われている貴様が何を言う!」
「仕方ない……」
 バドはそう言うと、身を翻して野営地の方へと退避した。
「逃げるのか!」
 追ってくる獣人に、バドは答える。
「ナイフでは心もとないのでね」
 爽やかな笑みを向けるバドに、獣人は段々と血が頭に上ってくる。
 一瞬、バドの姿を見失う獣人だったが、再び視界に捕らえたバドの後姿に、腰に隠し下
げていた剣を引き抜いて切りかかった。
 ギィイイイイイイイン……
と、金属の擦れあう音がし、獣人の顔が驚きに変わった。
「貴様がなぜそんなものを!」
 獣人が驚くのも無理はなかった。
 バドの手に握られていたのは、ヴァンパイアが嫌う十字架。鈍く銀色の光を放っている。
 そう、カヲルのクロス・ソードである。
 バドは困ったように頬を掻くと、ポツリと答えた。
「そう聞かれちゃうと困っちゃうな。ご主人から少し借りただけのもので。僕のじゃない
し」
 バドは言い終るとにこりと笑った。
獣人の怒りは更に頂点を目指して上がり、怒鳴った。
「何をブツブツと! 死ねっ!」
 突っ込んでくる獣人を、バドは笑顔のまま微動だにせずに迎えた。
 光が、一閃した。
月光の下、獣人の肩口から血が舞い散った。
獣人にバドはぐっと近づき、言った。
「その傷は、なかなか治らないですよ。何せ、十字架ですからね、聖なる力が働いている
んです。ヴァンパイアの加護を受けている者には、とても辛いものでしょう」
 バドは右手に握られているクロス・ソードに目を向けた。クロス・ソードは、怪しい光
を放っている。獣人も、バドの視線につられるようにして、クロス・ソードの方へと目を
向けた……瞬間。
 ゴトリ、と音がして何かが落ちた。
「うおおおおおおおおおおおっ……」
 獣人の雄叫びが上がった。
 月明かりの下に、苔の上に造作もなく転がっている腕が浮かび上がった。じんわりと苔
の上をどす黒いものが覆っていく。
 バドはなおも笑みを絶やさず、さらりと言ってのけた。
「力の加減ができませんでした。ごめんなさい」
「くっ……ハイネ様の力の前に必ずやひれ伏すことになるのだ! 覚えておけ!」
獣人は舌打ちをすると、身を翻して闇の中へと溶け込んでいった。
「はいはい、それも承知してのことですよ」
 バドは闇に溶け込む獣人の後姿にひらひらと手を振った。
 獣人の気配が完全に消え去ると、バドはクロス・ソードを鞘に収めた。そして、カヲル
のテントにクロス・ソードを立てかけると、手袋を外した。
 バドの手のひらは、赤くただれていた。
 バドが傷口を舐めると、すぐに元通りになったが……本来手袋についていてもよさそう
な獣人の血がどこにもない。それどころか、先ほど切り落としたはずの腕がどこにもない。
クロス・ソードの血さえも拭った仕草はなかった。
 バドは手を握ったり開いたりしながら言った。
「嬉しいね、力が戻りつつある。やはり生まれ育った場所とは、とても大事なのだね……
っと、ゴミ」
 獣人が落として行ったものだろうか、シガレットケースが落ちていた。
銘柄も、ナンバーも入っていないタバコだった。何気なく一本取り出し、吸ってみる。
「お。これは。なかなか面白いものが出回っているみたいで……」
 バドはシガレトットケースを胸元のポケットにしまいこんだ。

 翌朝、カヲルはバドの声に起こされた。
朝だとはわかっていても、何か違う雰囲気が漂っている。
 あとから起きてきたアルが変な声をあげた。
「な、何で平気なんですっ?」
 バドは、日の光の下、煙草を口にくわえて立っていた。
「いやぁ、太陽っていいもんですね」
 バドは眩しそうに空を見上げる。
 太陽の下に映し出されたバドは、とても綺麗に見えた。
 黒いスーツの袖から伸びる手はとても白く、顔も透き通るほどに白い。
 カヲルは、眉間にしわを寄せて言った。
「どういう、事だ?」
「えと……その、昨日落し物を拾いまして。たぶん、ヴァンパイアの住む森だからだと思
うんですけどね」
「バド、本当のことを言え」
「うっ」
 カヲルにひと睨みされて、言葉に詰まるバド。
 少し躊躇した後、昨夜の出来事を話し出した。
 話が終わった後、カヲルは言った。
「お前は、相手に傷一つつけなかったのか?」
「え、はい。少しは、ついちゃったかも知れませんけど、全て幻術で。単純な獣人さんで
よかったです」
 バドはにこりと笑い、カヲルは無表情なまま、満足げに頷いた。
「多少は進歩したようだな。昼間でも行動できるようになったとすると……荷物はおまえ
に任せた。アルでは歩調が遅くてかなわん」
 ドサドサと荷物を投げつけられ、なんとなく複雑な表情を見せるバド。
 もう一昼夜を森で過ごしたが、獣人の一件がすでに知れ渡っているのか、襲ってくる者
はなかった。森全体がハイネの配下にあるようだ。
 翌日、日が傾きかけることになって城の一部を目にした。
 ジッと城を見つめるカヲル。様子を見るためにも、少し離れた場所に野営を取った。
辺りが暗くなると、城に明かりが灯った。
「来客はないようだな」
「目覚めたばかりで、城の手入れがなっていないのではないでしょうか。目覚めた後は食
事、その後に城の手入れ。そして挨拶がてらに会食を開いたりします……」
 カヲルの冷ややかな視線に、口を閉ざすバド。
 アルがテントの中でさっさと寝息を立て始めた頃、カヲルのテントの前で、バドが言っ
た。
「少し、話をしても良いですか?」
「ああ、今出て行く」
 カヲルは、バドと共にしばらく歩くと、倒れた木の上に座り込んだ。
「それで、話とは?」
 カヲルは片膝を抱え、目を瞑ったまま言った。
「ええ、多分ご存知だとは思うのですが、ハイネと僕は姉弟です」
「知っている。しかし、仲が悪そうだな」
「ええ、今は。昔は優しかったのですが。アルが所持していた本を読みました。少し真実
と違いますね。ワイザーの一族が滅んだと書かれていますが、僕が生きているところから
して違うのですけどね。当時二百になるかならないかの僕を、姉は地下の水脈から棺に入
れて逃がしてくれたんです」
「……水、平気なのか?」
「へ?」
「ほら、聖水関連で苦手かと思っていたのだが」
「お風呂、入らないと汚いですよ」
「……だよな」
「ちゃんと入ってたじゃないですか。しかも毎日」
「……だったよな」
「ほら、僕温泉とか好きですし。ヴァンパイアって、血行悪いし……」
 段々と話がそれて行く。それに気づいたのか、バドは咳払いをすると、話を続けた。
「でもね、覚えているんです。大丈夫だから、と棺に押し込んでくれたんです……ちゃん
とした高い棺だから、内装もしっかりしてて、あわせもばっちり、だからちゃんと浮いて
たんですよね」
 バドはそう言って、カヲルのすぐ横の倒木に立って月の光を身に浴びた。
 月光に照らし出されたバドの顔は透けるように白く、陶器のような肌をしていた。それ
に合わせて金髪がきらきらと夜空に映えた。
 カヲルは一瞬、その姿に見とれる。
 だが、カヲルはすぐに俯くと、言った。
「俺は、それでも相手が悔い改めないのならば、とどめを刺すぞ」
 バドはカヲルの顔を振り返らずに、黙ってうなずいた。


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