3.仕事―2


 朝。
 カヲルはうっすらと目を開けた。
本の散乱したベッドから身を起こし、洗面所へと向かう。ほのかに
香ばしい香りが漂ってくる。
 カヲルは、鏡を見て違和感を覚える。昨日の夜、顔を洗うときに
痛みを感じたのを覚えていたのだが……
「バド!!」
 カヲルは、キッチンに勢い良く入り込んだ。
「は、はいっ! な、なんでしょう」
 バドが振り返ると同時に、首筋にクロスソードの切っ先が突きつ
けられた。
「頬に傷、あったよなぁ」
「は、はい……」
 バドは、じわりじわりとカヲルに詰め寄られ、壁際に追い詰めら
れた。
「うぅ、治しましたぁ……傷跡が痛々しくって」
 泣きそうになりながら、答えるバド。
その顔を見ながら、カヲルは心の中で呟いた。
――俺のせいだろうか? こんな弱々しいヴァンパイアになってし
まったのは。
 いや、ヴァンパイアとして成り立たなくても、せめて男として何
とかならんのか? 
 いくら顔が童顔とはいえ、結構生きてるよなぁ……――
 カヲルは、ため息をついて言った。
「今後、このような姑息な真似は許さん。だが、傷を治したことに
ついては礼を言う」
 一瞬、思わぬ礼を言われ、思わず顔の緩むバド。
 しかし、凶器を突きつけながら笑う図は、少し異様な光景として
アルの眼中に残った。
 バドは、カヲルがクロスソードを手から離すのを見届けてから
言った。
「で、ご主人。今日はどうしますか?」
「うむ……とりあえずアルを起こせ。やつがいないと行動しにくい」
 バドは返事をすると、いそいそとキッチンからリビングへと足を
運んだ。
 どん ごろごろごろっ ドスン
 リビングから、ものすごい音がした。
 バド、アルの寝ていたソファーを丸ごとひっくり返したらしい。
礼を言われ、相当ご機嫌なようだ。
「おはようございます、ご主人がお呼びです」
 理解の及ばぬ間抜けな面のアルを見つめ、満面の笑みでバドが言った。
「は、はぁ……」
 起こし方と、表情とのギャップに、朝っぱらから混乱を来たすア
ル。なかなか動き出さないアルに痺れを切らしたのか、バドはその
ままアルを引きずってカヲルの元へと急いだ。
「さっさと着替えろ。でかけるぞ」
 カヲルはそう言うと、アルをシャワールームに投げ込むようにと、
バドに言った。

 動き出している町を歩くカヲルとアル。
 アルは大あくびをした後、言った。
「何で、バドさんはこないんですか?」
 少し間があった。
「あいつ、ヴァンパイアだぞ」
「あ」
「日の光を浴びれるほど生きてはいない。大体、ヴァンパイアが昼
間に活動できるまでに、500年はかかる。バドには、あと百年ほ
ど必要か」
「へぇ、じゃあ昨夜のヴァンパイアは、バドさんより最低百年は歳
が上なんですね」
 カヲルは、アルをにらみ返した。
「なんでそんなことがわかる」
「だって、昨日のヴァンパイアが野次馬の中にいますから」
 アルは、そう言って人ごみの中の一点を指した。
 カヲルが目をこらして見ると、質素な格好をしているが、間違い
なく昨日のヴァンパイアがいた。
「おまえ、目がいいな」
「それがとりえの一つですから」
 胸を貼るアル。対してカヲルは冷たく言い放った。
「それだけが、の間違いだろ」
 アルは悲しげにため息をつくと、言った。
「どうします? 攻撃しかけちゃったりします?」
 カヲルは、アルを見返した。
 昨日、腰を抜かしたり、気絶をしていた男が、この変わりようは
いったい何なのか? 誰しもがそう思うことだろう。
 その答えはアル自身が出した。
「ほら、昼間なら人もいっぱいいて、怖くないし」
 カヲルは、とりあえずアルを殴ってから言った。
「一度死ね。それはともかく、今回は一筋縄ではいかないな。昼間
のうちに寝床を探し出してとどめを刺そうと考えていたのだが、で
きなくなったな」
「では、どうするんです?」
 カヲルはいつの間にか消えてしまったヴァンパイアに舌打ちする
と、答えた。
「この辺の歴史を調べる。食い気が旺盛なところと、このヨーロロ
ンドの町だけにしか出没しないところを見ると、過去にこの辺をお
さめていた可能性がある。再び支配力を見せ付けようとしているの
だろう」
「へぇ、そうなんですか〜」
「で、何か知らないか? と、貴様に聞いたところで何の役にも立
ちそうにないな」
 カヲルに即座に否定されて、肩を落とすアル。
「とりあえず、今日中に目撃者に話を聞こう。どちらの方向によく
消えるか、だけでもいいからな」
 カヲルは、アルを使って午前中いっぱい街中を歩き回った。だが、
あまり収穫はなかった。
あくまでも“見かけた程度”で、詳細を覚えていないと言うのがた
いていの答えだった。
 午後になって、町の一角にあるテラスでお茶を始めるカヲル。ア
ルがその対角に座り、しばらく黙ってケーキと紅茶をぱくついてい
たが、ふと顔をあげて言った。
「あの、ですね。この町には小さいんですが国立小図書館があるん
です。町の外れに、結構大きくて古い建物であったので、過去の文
献を調べるんだったらそこがいいかなぁ〜っと……」
 カヲルは、今までにない不機嫌な顔でアルをにらみつけた。
「どうしてそれを先に思い出さない! 俺は無駄という言葉が大嫌
いだ! これだから馬鹿は嫌いだ」
 カヲルはそう言ってアルを見据えた。
「う、今の言葉かなり酷い……なんでそんなに言葉遣い悪いんです!」
 アル、言い返したことを後悔する。
 カヲルに胸倉をつかまれ、更に首を締め上げられる。
「これが普通だ。文句あるか」
「な、ないです……死んじゃいまぅ〜」
「ここの支払いは、貴様が持て」
 カヲルは、アルが賢明に頷くのを見ると、手を離し、さっさと歩
き始めた。
「早くしろ! これ以上俺をイライラさせるな」
 アルはつりもらう暇もなく、カヲルの後を追いかけるのだった。

 国立小図書館。
 茶色く薄汚れた白い外観に、門は西洋風の神殿のような白く大き
なものだった。広いヨーロロンド唯一の図書館であり、国立と呼ば
れるだけはあった。内部は二階まで一部吹き抜けで、壁際なぞは天
井まで1メートルを残して高く本棚が設置されていた。
 入り口には、一昔前のベストセラーが陳列されていたが、ほとん
ど読む者はいないよだ。新品同様の本が並べられている。
 カヲルそんな書棚を無視して、すぐに奥のほうへと足を運んだ。
“ヨーロロンドの歴史”と分類された辺りへと行くと、持てるだけ
の本を取り出し、机の上へ投げた。
 机の上はすぐに古めかしい本で埋まり、カヲルはそれを目の前に
どっかりと椅子に座りこんだ。
――一冊ずつ出してみればいいのに……
 アルは、この本を片付ける役目が自分に回ってくることが頭に
上って、ため息が自然と出るのだった。
 カヲルは、歴史のつづられている本に没頭を始めた。
 およそさかのぼる事二百年、ヴァンパイアを消滅させたとの記述
が残されている。一年にも及ぶ戦いの末、目覚めたばかりのヴァン
パイアを倒し、一族の者たちを追い出した、と記されている。ほぼ、
伝説……いや、夜に出歩かないようにとの注意との訓を述べたもの
に近い形として。
 アルは、カヲルの読み終わった本を元に戻しながら、ふと手を止
めた。一冊の本が、ほこりをかぶり、棚の裏側に落ちそうになりな
がら存在している。
 本は、直接書き込まれたもので、持ち出し禁止のラベルが貼られ
ていた。
 アルは、何の気もなしにその本を手にとって目を通す。

「カヲルさん! ここに出没していた!」
 アル、大声で叫び、図書館にいた司書と、数人の客から冷たい視
線を浴びる。
 カヲルはアルを殴って座らせると、たずねた。
「で、何がわかった?」
「いえ、その……とりあえず出ませんか? これ以上目線を集める
のは、ちょっとつらい。これ以上馬鹿にされるのも〜」
「そうだな」
 カヲルは、アルと共に図書館を後にした。
「で、貴様はそれを無断で持ち出した、というわけか」
 図書館の敷地内の芝生に腰を落ち着け、カヲルはそう言った。
「大丈夫です! この辺も館内扱いですから!」
 なるほど、一理ある。
「で、さっき叫んだ訳を教えてもらおうか」
「えっとですね、本の中ごろから読み進めていただけるといいです
ね。そう、ここ」
 アルはそう言って、カヲルに本を開いて差し出した。
 開かれたところには、大きな屋敷がスケッチされており、一枚飛
ばして一族のことが書かれていた。また、屋敷の中のことも書かれ
ており、そこで暮らしていたのでは? と思わせるような文面もあ
った。
 カヲルが、書き始められた日を知るために表紙に戻ってみると、
300年前の日付になっていた。
「しかし、何だって途中から筆跡が変わっているんだ?」
 カヲルは、眉を寄せた。
 明らかに、本の書き始めと、中頃の筆跡が違う。本の中頃からの
内容――つまりは屋敷のスケッチがあった辺りからだが――が、事
細かであり、ヴァンパイアを倒すに至ったと言う経緯が書かれてい
る。
 それより以前は、時間的に間隔が開いているような、ヨーロロン
ドの日々特別にあったことが書かれている。たとえば、何かの祭り
だったりとか、そんなことだけだ。
 そして、本の末尾には……
「ハイネ・ワイザー……!」
 カヲルの口から、その名がこぼれた。
 そう、末尾にはその名前が書かれていたのだ。もう一つ名前の陳
列があったが、末尾のページの風化が激しく、インクがにじんで読
めなかった。
「ねぇ、カヲルさーん、もう日も暮れたことだし、お腹も空きまし
たよ〜。帰りませんか〜?」
 能天気なアルの声が、カヲルを現実に引き戻した。
「そう、だな。帰ってから全部吐かせてやる」
 カヲルは立ち上ると、胸元の銀の十字架を握り締めた。

 アルの家は薄暗かった。その薄暗いリビングのソファーで、バド
がうたた寝している。カヲルはそれを見ると、バドの上に馬乗りに
なり、ワイシャツの前を乱暴に引き裂いた。
「なっ。寝ていたことは謝りますから! あ、アルさん、冷蔵庫の
中が空に近かったので、いろいろ足しておきましたよ」
 バドはびくびくしながらも、アルに言った。
「バド、俺に言っておきたいことはないか」
 なにやら、遺言を求めているかのような口調のカヲル。
 そのことを悟ったのか、バドは恐る恐る口を開いた。
「こ、殺すんですか……僕を」
「その気はない。ただ、質問をしているだけだ。言っておきたいこ
とはないのか?」
 カヲルはそう言いながら、銀の十字架を胸元から引きずり出し
た。
「なっ……ご主人!!」
 バドの顔が一気に青ざめる。
「ご主人! それ以上近づけないでください! 体がおかしくなる
んですぅ……」
「ならば、答えろ」
「な、何もないです! もぅ、やめぇ……」
 バドはそう言ったきり、顔を背けると目を瞑った。心なしか目元
が潤んでいたようにも見える。
 カヲルは黙りこくったままのバドの上からどくと、言った。
「言っておくことがなければ、そう言え。そして、言いたいことが
れば、いつでも言え」
 カヲルは、バドの髪を撫でた。そのまま立ち去ろうとするカヲル
の服の袖を、バドはつかんだ。
「なんだ?」
「あ……なんでもないです。ご飯は、もうちょっと待ってください」
 バドはカヲルから手を離すと、立ち上がってキッチンへと逃げる
ように行くのだった。

 深夜。夜の見回りも終わり、カヲルは服を着替えることもなく
ベッドに倒れこんだ。大の字になって、目をつぶる。
 すると、部屋のドアが開いた気配がする。
「ご主人、近くに寄ってもよいですか?」
 バドの声がした。
「お休み中でしたか。ごめんなさい。でも、やはり話しておいたほ
うがいいかと思いまして、って、寝てるじゃないですか。風邪引き
ますよ、何もかけないで寝ると」
 ベッドの真ん中で寝始めているカヲルの下から、どうやってシー
ツを引き出そうかと悩むバド。
 カヲルの顔をジッと見つめる。
 とても整った顔がそこにあった。
 今は閉じられているが、大きいながらも切れ長な瞳。今は長いま
つげがよくわかる。
 すっきりと通った鼻筋に、薄く淡いピンクの唇。下唇は少し厚め
で、少しあいた唇からは、寝息が聞こえてくる。それに、細く白い
腕、そして細い体……
 バドは黙ってカヲルの体を抱き上げ、器用に足でベッドのシーツ
をはぐ。再びカヲルをベッドに寝かせ、バドはカヲルに言った。
「たぶん、気づいているとは思います。けど。まだ……」
 バドはそこで言葉を切ると、カヲルから離れて部屋を出て行った。
 バドが部屋から出て行ったあと、カヲルはうっすらと目を開けた。
――あのヴァンパイアも、バドと同じようになってくれたらいいの
だが……
 そう思って、ため息を吐く。
 カヲルは、しばらく天井を見つめた後、目をつぶるのだった。

 バドは、アルの家のベランダから跳躍して、屋根に登った。
 屋根の一片に座り込み、まだ満ちていない月を見上げた。
「二百年……いや、三百年か。まだ、礼を言っていないし……せめ
て、人を殺さずにいてほしい……」
 バドは、自分の白い手を見つめた。
 人を捕らえ、人を食らうためにあった手。今は、何かを与えるた
めにありたい、と思っている。
 拳を握り締め、バドは再び月を見上げた。
「ご主人には、無理……五百年も生きたヴァンパイアなど、本来は
表に姿を現すものではないのだから」
 バドの瞳から、涙が一滴落ちた……

 カヲルは、朝早く目を覚ますと、アルを殴り起こした。寝ぼけた
ままのアルを新聞を取りに行かせ、自分はコーヒーを片手に朝食に
ありつく。新聞を読むと、誰が仕入れた記事かはわからないが、目
撃情報があがっていた。華やかな話題一つない田舎の町だけあって、
いつまでも大きく取り上げられるようだ。無論、前日にカヲルが聞
きまわったせいもあるのだが。
 新聞には、ヴァンパイらしき大きな影が北方の森へと消えたとの
話が掲載されていた。
「北の、森か……」
 カヲルはコーヒーを一気に喉に流し込むと、アルに鞄を投げつけ
た。
「おまえはどうするんだ?」
 カヲルは玄関口で見送るために顔を覗かせるバドにそう尋ねた。
「えと、夜になったら見張りにでも……」
 人間では数日かかってしまう道のりでも、数時間でいくことので
きるヴァンパイアもいる。バドは、それだけの脚力を持ち合わせて
いるようだ。
 そのバドをカヲルは横目で疑わしそうに見た。
「別に逃げ出してもいいぞ。癖が再発するようならば、俺が再び捕
まえるだけだ」
 カヲルはそう言い残すと、アルから預かった鍵をバドに渡した。
 鍵を握り締め、鼻をすするバド。
「そんなこと、しませんよ……」
 バドは窓辺に身を移し、カヲルの後ろ姿を見守るのだった。



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