三章 2


 沈黙が満たされた部屋の中は、しばらくして、激しく扉が開く音によって終わった。そして、レーヴェレスの怒鳴り声が聞こえた。
「ちょっとママ! 私この城知らないんだからお茶なんか入れられるわけないじゃないの! って、しんみりしちゃってどうしたの?」
 レーヴェレスがティーセットを銀のトレイに乗せて現れた。ロスフィアは意味ありげに微笑んだ。
「ええ、ちょっと貴方の彼氏いない歴をね。そうね、アッシュを成人レベルまでにするから、ちょっとは女らしさを磨いたら?」
「ママッ!」
 レーヴェレスは顔を真っ赤にして怒った。
「一度くらい美青年に抱きしめられてみるといいわよ」
 ロスフィアは子供のように笑うと、アシューのわきの下辺りに手を差し入れて抱き上げた。
「いい、この小生意気な表情を見ていじめていられるのは今のうちよ。とりあえず体を占領して成長を妨げている呪いを解いてあげるから」
 アシューは少し迷惑そうな顔を浮かべていた。
「レーヴェレス、貴方も手伝いなさいな。ええと、ラグだったかしら。出て右隣の部屋に術用の寝台があるから持ってきてくださる? レーヴェレスは魔方陣を書くためのインクを調合してちょうだい。ここを出て真向かいの部屋に私のアトリエがあるから、そこで。アッシュは服を脱ぐ」
 脱ぐ、と言いつつも、実際はロスフィアが脱がせていた。
 アシューは青いローブをソファーの上に置くと、ロスフィアに少し抵抗しながら言った。
「ずいぶん急ですね」
「西都にある賢者の力を取り込むためなの。今の呪われた体では触れることさえままならないはずよ。小さな親指の爪の先ほどの欠片でも手に入れたものは巨大な力を得ることができる。そう言う代物なの、賢者の石って言うのは」
 言いながらロスフィアはアシューのシャツを脱がせた。あらわになったアシューの細めの胸を突くき、微笑んだ。
「細いけどぷにぷにした体つきね。まるでレーヴェレスの小さい頃みたい。あの子、身長は伸びたけど、まだ幼稚体系なのが困りものなのよね」
 ロスフィアは楽しそうにため息をついた。
「ママ! そんなことおチビに教えなくていいから!」
 レーヴェレスは白い液体の入った木製のボールを片手に、怒鳴った。ロスフィアはボールを受け取ると、右手を中に沈めた。すると、ボールから次々と白い文字が生まれて、部屋の天井付近に浮かんでいった。
「えと、寝台ってこれでいいんだよね?」
 ラグが途切れ途切れに言いながら、部屋に大きな台を持ってきた。
「ええ。中央に置いて。アシュー、裸は恥ずかしいかしら?」
 文字を続々と生み出し、さらに床にそれを並べて行きながらロスフィアが言った。
「別に、かまいませんが……呪いを解いた途端にレーヴェレスに叫ばれるのでは、と思いますが。できればシーツか何かほしいですね」
 アシューは目を細めてレーヴェレスを見た。レーヴェレスは真っ赤に、さらに涙をにじませながら怒鳴った。
「出て行けばいいんでしょ、出てけば!」
 大きな足音を立て、レーヴェレスは部屋を出て行き、乱暴に扉を閉めた。
 アシューは「うぶなんですね、彼女は」とクスクス笑うと、一糸まとわぬ姿になって寝台に横たわった。アシューの体には、相変わらず目を背けたくなるようなあざがある。ラグは気をきかせたのか、アシューの腰の部分に布をかけた。
 ロスフィアは葉と花の咲く杖を取り出して構えた。すでに床の周りには魔方陣上に文字が並んでいる。
「はじめるわよ。でもそれほど時間はかからないわ。数は多いけど、大した呪いじゃないから」
 ロスフィアは呪文を呟きながら、大きく杖を振った。すると魔方陣の文字が光りを放ち始めた。光りは大きないくつかの集合体となって部屋の中を駆け巡り始めた。
 しばらくすると、光りに誘われたのか、アシューの体のあざがうごめいた。あざは影のようになると、体からゆっくりと浮かび上がった。
「じっとしていた方がいい? それとも手伝った方がよさげ?」
 ラグは部屋の中を飛び交う光と影を避けながら叫んだ。
「ええ、まぁ、呪われたくなければ」
 ロスフィアはそう言って微笑んだ。ラグは慌てて目の前に迫った影を背中を思い切り反らして避けた。勢いあまって、そのまま後転した。
「冗談よ」
 ロスフィアは子供を見るようなやさしい表情を浮かべた。
 そうしている間に、呪いは徐々に解けはじめているようだった。最初は光とぶつかり合っていた影だったが、徐々に勢いをなくし、光に飲まれてゆく。影を飲み込んだ光は、天井に、壁にと吸い込まれるようにして消えていった。
 最後の影が光に飲み込まれ、天井に上っていくのを見届けて、ラグはアシューの体を見つめた。
「終わり?」
「そのようですね。ずいぶんと体が軽く……」
 アシューは立ち上がり、言いかけた途端、体がミシリと音を立てた。アシューは顔を歪めた。
「ディスローダ……」
 そう呟いて、アシューは奥歯を噛み締めた。近寄るラグを、軽くたしなめる。
「熱いので近寄らない方がいいですよ」
 アシューはそう言って深く息を吸うと、体を起こした。再びミシミシと音がしてアシューの体がゆっくりと大きくなっていった。
「けけけけけ賢者さんっ!?」
 慌てふためくラグに、アシューは手で制した。
「ディスローダが余計な気を回したようです」
 アシューは言いながら、床に落ちた布を腰に巻いた。その顔は、伝説のように語り継がれている、大陸一の美青年と呼ばれるにふさわしかった。
 アシューは首を回し、骨を鳴らした。ラグは素早く挙手をし、アシューの頭を指して言った。
「賢者さんなんでっ!」
 アシューは顔の前にかかる前髪をかきあげ、答えた。
「ディスローダのアピールなのでしょう。それよりもロスフィア、着る物を用意できそうですか?」
アシューは微かに笑うと、腰に布を巻いた。
「賢者さんスゲー……」
 アシューの背後でラグが意味ありげに呟いた。ロスフィアはカーテンを杖で突いた。すると、カーテンは鋭い刃で裂かれたように舞い上がり、空中で糸の塊になった。カーテンがあった場所から光りが差し込み、アシューの健康的な白い肌が浮かび上がった。
「以前の賢者のような服装でいいわよね」
 ロスフィアはそう言って杖を床に打ち付けた。アシューが応えるよりも早く、糸の塊はまるでクモのように糸をアシューに向けて噴出した。
 糸はまるで目に見えぬ誰かに操られたようにアシューのつま先から何かを形成してゆく。
「カーテン一枚じゃアッシュの長身じゃ足りないわね」
 ロスフィアはもう片側にかかっていたカーテも同じようにした。ちょうど日が出てきたためか、外の雪を反射して一瞬目がくらむ。
 光りに目がなれて開けたときには、少し不満そうな表情を浮かべているアシューがいた。
「なぜ胸元が開いてる服にするんですか。エヴィエンドで凍死させる気ですか」
 アシューはふてくされた様に呟いた。
「け、賢者さん……本当にかっこよかったんだね」
 ラグはそう言って唇を尖らせた。アシューはため息をついた。
「どこがですか」
 その口調はいささか怒っているようにも聞こえた。ラグは腕を組み、アシューの顔をしばらくまじまじと見つめてから答えた。
「目が切れ長で大人っぽい! 後無駄に鼻筋が通ってる。ついでに唇がやらしい! ってロスフィアが口ぱくで言ってる」
 ラグはそう言って、アシューの背後にいたロスフィアを指差した。アシューはロスフィアをにらんだ。
「にらんでもかっこいいわよ、アッシュ。にしても、あの小さい姿を見ているからかしらね、すごく意地悪したくなってしまうわ。まぁなんて言うかそこの騒がしい妖精のおかげなのかしら? 貴方にそんな口聞く者なんていなかったからね」
 ロスフィアはそう言って扉を開けた。すると、中にレーヴェレスが派手に転がり込んできた。
「あら、のぞきなんてそんな趣味の悪い娘に育てた覚えはないわよ?」
 ロスフィアは床に倒れているレーヴェレスにそう言うとアシューを肘で突こうとした。だが、アシューは突かれるよりも前に、姿勢を少し落としてレーヴェレスに手を差し伸べていた。
「気になったのならノックをすればよかったのに。顔に傷ができてしまいますよ」
 アシューの少し低めの穏やかな声に、レーヴェレスがゆっくりと顔を上げた。
「えと……おチビ?」
 不安げに訪ねるレーヴェレスの腕をつかみ、引っ張りあげた。
「ええ、そうですよ。それよりもせっかくの髪が乱れてますよ」
 アシューはそう言ってレーヴェレスの髪をなでた。
 ロスフィアは苦笑いをすると、杖でアシューを指した。
「見てよ、あれ。本人その意思がないんだから余計困るのよ。人の娘に手を出さないで、ってば」
 ロスフィアはそう言って杖の先でアシューの肩を叩いた。
「貴方の娘だから余計心配なんですよ。どんなことをやらかすかわかりませんから」
 アシューはそう言ってレーヴェレスの手を取り、見つめた。
「後で痛くなりますよ、この手首。ロスフィアの言うとおり、今度からのぞきはもう少し考えてしたほうがいいですよ」
 アシューは軽く目を細め、口元をほころばせた。
「う、うるさいわよ! もうのぞきなんか一生しないわよ!」
 怒鳴るレーヴェレスに、アシューは軽く顔を横に背けつつ小声で言った。
「それで。私の裸も見たんですか?」
 とても部屋の中が静かになった。
 アシューの目の前で、レーヴェレスの顔が見る間に赤くなってゆき、ロスフィアは噴出した。
 ロスフィアの大笑いをBGMに、レーヴェレスは怒鳴った。
「みみ見るわけないでしょ!」
「そうですか? それならいいんですが」
 アシューはくすりと笑うと、ラグに向き直った。
 ラグは目を点にして、ロスフィアとアシューの顔を何度も見比べていた。



Next
TOP
NOVELTOP



本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース