三章 1


 その部屋の中には蝶が飛んでいた。冬のエヴィエンドとは思えぬほど部屋の中は暖かく、またその中に渦巻く太いツタ状の木が傍若無人に生えていた。
「この部屋……彼が消えてからずっと放置しておいたからですか」
 アシューはそう言いながら両手で女の体を押しのけた。
「やだもぅ、アッシュってばほっぺつるつる!」
 金髪の女性はそう言ってアシューの頬に自分の頬をすり寄せた。
「ロスフィア、ずいぶんと髪が伸びましたね」
 アシューは片目をつぶり、何とか金髪女性ロスフィアから離れようと奮闘しながら言った。
「彼が死んでから一度、貴方が死んでからもう一度切って、それからは何もしてないんだから、当たり前よ。一度は貴方に譲った城だから、城の名は変えてないわ。ここの人たちに定着しているしね」
 ロスフィアはそう言って、獣の耳を軽くパタパタと動かした。
「でも、どうして来る事が?」
 アシューはそう言ってため息をついた。もうしばらく離してもらえないと悟ったのか、頭をぐしゃぐしゃになでられるままになっている。
「レーヴェレスがね、前報告をくれたの。だから迎えに。あ、ちなみに私の娘」
 ロスフィアはそう言って、ようやくアシューを降ろした。アシューはぐしゃぐしゃにされた髪を軽く直しながら「やっぱり」と呟いた。そして、振り返って呆然としているラグとレーヴェレスを見た。
「ラグ、レモドの魔女のロスフィアです。ロスフィア、この青年は」
 アシューが言いかけると、ロスフィアはにこりと微笑んだ。
「知っているわ。とても小さな妖精ね。その背後には賢者の力がある。アッシュのね」
 ロスフィアはそう言って、部屋の扉を開けた。
「ここは彼の魂が解き放たれているから、長居したくないわ。とりあえずこっちへ」
 ロスフィアはいままでとは打って変わった、落ち着いた態度で言った。そして先だって歩き始めた。
「娘に父親の話は?」
 アシューは後ろを歩いているレーヴェレスに素早く目を走らせた。
「魔女は自分のことを探求する心を持たなくてはだめ。そう言い聞かせてきたから、きっとまだ悩んでいる途中ね。でも彼、ラグって言ったかしら? 彼が居るから自分のことをもっと深く知る機会になるんじゃないかしら」
 ロスフィアはそう言って少し振り返り、ラグに目を走らせた。
「貴方、名前は?」
「ラグナハザード・ベリルシュタイン。賢者さんはすっごく短くラグって呼んじゃってくれてるけど」
 ラグは少し頬を膨らませてそう答えた。ロスフィアは笑みをこぼすと、ドアの一つを開けた。そして三人を中に招いた。
 その部屋はカーテンがかかっており、薄暗かった。
「ソファーにでも腰掛けて。ごめんね、アッシュ。いくつか部屋を改装しちゃったの」
 ロスフィアは部屋の置くのテーブルに乗っている水晶をなでた。
「かまいませんよ。元々ライシャから譲り受けたものですから。貴方の元に戻すのが正しい」
 アシューはそう言ってソファーに腰掛けた。つられてラグも座り、レーヴェレスも座ろうとしたところで、ロスフィアに声をかけられた。
「レーヴェレス、お客様にお茶をよろしくね」
「ちょっと! あたしはのけ者?」
 レーヴェレスはロスフィアに食ってかかった。ロスフィアは返事をする代わりに、手に持っていた杖を振った。レーヴェレスの姿はあっという間に消え、ロスフィアはため息をついた。
「最初から答えを知っちゃつまらないものね。それに、元精霊王の娘でも、その能力がほとんどなかったら……」
 黙りこむロスフィア。ラグは緊張を解くためか、大きく伸びをして言った。
「人間って、能力にこだわるって本当だね。体が大きければ大きくなるほど悩みは増えるみたいだ。俺もそのうち悩むことあるのかな?」
 能天気にラグは言い、あくびをした。
「大丈夫ですよ、大きい人間でも悩まずに一生を過ごす人がいるぐらいですから」
 アシューはそう言って、生意気そうな表情を浮かべて笑った。
「……あ、それひどい。なんか俺って悩みなさそうじゃん!」
 ラグの不満に、アシューは小声で「その通りじゃないですか」と言い返していた。
 ロスフィアはしばらくアシューとラグの絡みを見ていたが、ふと口を開いた。
「それで、私を探してた理由はレモドの西都(せいと)の件? それと、別の賢者の行方を捜すこと? その体と呪いもどうにかしなくてはいけないみたいね。やることがありすぎて大変ね」
 ロスフィアはゆったりとした口調でそう語った。
「西都の状況は私がある程度つかんでいるからいいわ。残りは別の賢者の行方と、アッシュの体に幾重にもかけられている呪い」
「呪い?」
 アシューとラグは同時にロスフィアに聞き返した。ロスフィアは杖を振るって紅茶を出すと、二人に勧めた。そして一口紅茶をすすってから再びロスフィアは口を開いた。
「ええ。記憶と、力に。そして体そのものに。体に影が出ているんでしょ。記憶は呪いと言うより封印だけど。力は体から抜かれた賢者の力の変わりに埋め込まれたものみたいだけど。体が成長しないのは女の人の怨念かしらね」
 ロスフィアはそう言って最後ににこりと笑った。アシューは目を軽くつぶり、大きく肩で息をした。
「別に私は何もしてないじゃないですか」
「微笑で魔女片っ端から落としたくせに」
 ロスフィアの言葉に、アシューは目を細めた。
「してません。笑うの苦手でしたから」
「よく言うー。キングが時々開いてたダンスパーティの同伴の女性が毎回違ってたのは何でだったのかしらー」
 ロスフィアはにこにこと満面の笑みを浮かべていた。
「あれは各国と交流を図るためにですね」
 アシューの口調が少し早くなった。それをやんわりとロスフィアがさえぎった。
「各国の美人魔女と出会いと交流。さすが大陸一の美青年と呼ばれただけはあるわね。私も一度賞味しておけばよかった。そんな小さな体になる前にね」
 ロスフィアに胸をツンと突かれ、アシューは返す言葉もなく黙った。
「賢者さーん、賞味ってなに?」
 ラグは首を少しかしげた。アシューは困ったように頭をかくと、思いついたように言った。
「そう言えば、お茶は自分で出せるんじゃないですか。それで。西の都の様子はどうなっているんですか」
 アシューはそう言って紅茶を飲んだ。
「まぁ、壊滅状態ね。たぶん根城にされてるわ。でもそう気に病むことじゃない。レモドの民は本当の危機には賢く行動するから。散らばって生きてる――ちょうど貴方の賢者の石の欠片と同じように」
 ロスフィアがそう言った瞬間、アシューの手からティーカップが滑り落ち、ガシャリと音を立てて床に散らばった。カップの底に残っていた紅茶が、じゅうたんに濃く染みを作った。
「賢者さん、大丈夫?」
 床に散らばるカップにさえ目をやらず、呆然とロスフィアを見つめるアシュー。そのアシューの顔をのぞきこみながら、ラグは心配そうにたずねた。
「賢者の石は、実在するのですか……」
 アシューのその言葉に、今度はロスフィアが驚いた表情を浮かべる番だった。
「アッシュは知らないで継承していたわけ?」
 アシューはゆっくりとうなずいた。
「賢者の石は実在するわ。ただ、それが力の塊と言うことしか私にはわからない。後は賢者の力そのもので、持っている間は不老不死になるぐらいしか。エンデガルドなら賢者として何百年も生きていたから知ってるとは思うけど、消息どころか生きているかどうかさえわからないのだから」
「あ、それ妖精に調べてもらえるかも。昨日ちょっと妖精界行ってお願いしておいたから」
 ラグの唐突な発言に、アシューが振り返った。
 ラグは半分になったカップを拾い上げてテーブルに置き、さらに続けた。
「賢者さんの力を探すついでに。って言っても区別つかないからなんだけど。でもなんで今更賢者の石? が動きだしたんだろうね。賢者さんが襲われてからは十五年経ってるわけだし。それともう一つ気になることがあるんだけど」
 ラグはアシューの目線まで体制を低くして、じっと見つめた。
「この城を譲り受けた事、前賢者ヴァルドのことも気になるじゃん」
 ラグの疑問に、アシューは唸った。ロスフィアはアゴに手を当て、しばらく考え込んでいた様子を見せ、口を開いた。
「賢者ヴァルド……消された名前、ね」
「え……」
 アシューの口から驚きがこぼれた。
「魔女の間ではうわさだったのよ。賢者ヴァルドは罪を犯し、その名を人の世から消されたと――この話は魔女の間だけ。もっと詳しいことはしかるべき人物が知っていたと思うけど……その彼ももう居ない」
 ロスフィアはそう言って目を伏せた。その後、三人は黙祷を捧げるかのように、一言も口を開かず、目を伏せたままだった。



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