一章 2


 いつも静かだったエヴィエンド国の再北端。その森の中にある小屋は、珍しく騒がしかった。それもその筈、小さかった妖精が大人の青年となっているからだ。妖精のときは小さいのに大層な名前だと思われたラグナハザード・ベリルシュタインと言う名も、少しはさまになって見える。
 今は、エプロンを腰に巻き、食器を洗っている。次いで、暖炉の前の椅子にかかっている派手なつぎはぎの布を振る。ふとあることに気づいたのか、手を止めて布の模様をじっと見る。
 銀髪の少年――アシューは、舞いあがったほこりを睨みながらラグに言った。
「あまり布をつなぎ合せて作ったものですよ。パッチワークと言うらしいです」
 ラグは驚いたようにアシューに言った。
「これ、賢者さんが作ったの!?」
 いかに賢者と言えども、男が作れる感じではなかった。マーガレットのような青い花が浮かび上がり、その周りを青いむら染めの生地が囲って、花を美しく際立たせている。
 アシューは軽く笑みを浮かべて言った。
「それはある女の子からもらったのですよ。この近くにある村の孤児院の寄付用に作ったもので、そのうちの一枚らしいです」
 アシューはラグの手から布を取り返し、そっと椅子にかけた。ラグは模様を見つめながら言った。
「俺はてっきり賢者さんの手作りかと思った。だってさ、賢者さんて、俺のコート縫えちまうほど腕がいいんだもん。で、あのベッドカバーは誰からもらったの?」
「あれは私の作品ですよ」
 ラグの片眉が中心にグッと近づき、眉間にシワを寄せた。数秒の間、物言いたげにベッドルームを見つめた後、アシューに振りかえって口を開いた。
「四角つなぎのとても簡単なものですよ」
「いや、俺が言いたかったのはそうじゃなくて。よくあんな大きなもん作れたなーってことだよ」
 ラグは感心しきった様子でアシューを見つめる。アシューは顔を伏せて呟いた。
「なにせ、ずっとヒマでしたから。何度か孤児院へと行って、教えてもらったんですよ」
 ラグは何度も「スゲースゲー」と繰返し、テーブルの上に無造作に置かれているフタつきの籠を開ける。中に入っているピンクッションを取り出して、ジッと針穴を見つめる。
「人間て、何かと器用だよね。で、賢者さん何をしようとしてるの?」
 ラグの脇から伸びてきた指先は、ピンクッションから針を抜き去ってゆく。そして、糸巻きフォルダから白糸を抜き出して針穴に通した。
「彼女にも作ってあげようかと思いましてね、コートを」
「おお、って、もうそんな事して大丈夫なのかよー?」
 ラグの心配そうな表情を気にとめず、アシューはベージュの布をカットし、針で縫いとめてゆく。
「いや、だから何で作れるかな……」
 不可解そうなラグを無視して、アシューは確実に針を進めて行った。
 

 いつしか部屋の中にはココアの甘い香りが充満していた。暖炉にかけられた鍋の中のミルクに、ココアパウダーが足されたようだ。
 その香りに気がついたのか、アシューは顔を上げた。暖炉の前ではラグが椅子に持たれかかって眠っており、気持ちよさそうな横顔が見える。その脇からカップを抱えた妖精がアシューの元へと飛んできた。
「おや、それは私にいただけるのですか? 流石はココアから生まれた妖精だけあって、入れるのは得意なようですね」
 アシューはそう言って妖精の頭を撫でた。妖精はカップからスプーンを抜いて抱きしめると、アシューに言った。
「それでね、賢者さまにお願いがあるんですー。私にお名前下さいな、と思って。ラグに言ったら、賢者さまにもらったら? って」
 アシューはココアに口をつけながら、ラグの横顔を睨んだ。そして、目をキラキラとさせている妖精に言った。
「考えておきましょう。しかし、ラグも何を考えていることやら……私の力を取り込んだままどうするんでしょうか」
 アシューは立ちあがり、ひざの上にかけていた布をラグにかけた。穏やかな寝顔は大人っぽさと子供っぽさの両極を感じられる。
 ふと、玄関のドアがノックされた。アシューはいぶかしげな表情で、椅子を立ちあがる。
「誰でしょうか」
 思い当たる節がまったくないのか、アシューは少し用心しながらもドアを開けた。
 フワリと雪が舞いこんできた。
「あ、アシューちゃん! フレイン・ガルドさん帰ってきたんだって?」
 その声と、共に少女が入りこんできた。近くのラナッシュ村に住む少女だ。アシューの頭の中には、一人の名前しか浮かばなかった。
「こんにちわ、リンティ。フレイン・ガルド……ああ、フレインさんね。帰ってきたことは帰ってきたのですが、寝てしまっています」
 アシューはいささか焦ったようにその場を取り繕う。が、リンティはアシューの頭ごしに中をのぞきこむ。アシューは目の前に垂れるリンティの金髪を困ったように見つめる。
「って、あれ? アシューちゃん、髪白いよ!?」
 アシューは上目使いで自分の髪を見つめ、ため息混じりに答えた。
「少し魔法に失敗しましてね。その副作用ですよ」
 リンティの表情が少し暗くなった。
「大丈夫? 顔色も少し悪いみたいだけど」
 リンティはそう言ってアシューの額に手を当てる。アシューはされるがまま、答えた。
「先ほどまで熱がありましたから。ですが、薬ももう飲みましたから……」
 アシューは言葉を切った。リンティの手のひらが冷たくなってゆく。
 手のひらを離したリンティはニコリと笑う。
「寒かったからちょうど良く熱もらっちゃった。そっか、フレインさん寝ちゃってるんだ。もしも起きたら魔術教えてください、って言っておいてね。それと、はい」
 リンティは取っ手つきの籠をアシューに押しつけた。上にかかっているハンカチをのぞきこむと、中には木の実が入ったパンと卵が数個あった。
「いつも卵とミルクを運んでくれていたのはあなたでしたか」
 アシューがそう言うと、間が生じた。リンティはゆっくりと後退してゆく。
「あ、あははー、じゃあガルドさんに魔術の件よろしく!」
 リンティはそれだけ言い残してゆくと、雪の中を走り去って行った。
「そんなに魔術が習いたかったのでしょうか。まぁ、こんな辺境の村では魔術を主として扱う者なんていないですからね。寒いから中に入りましょうか」
 アシューは肩に腰を落ち着かせている妖精に言った。



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