２．氷の女神―３

　アンリは唯一の武器である短剣を握り締めて少女の腰に巻きつい
ている触手に切りかかった。
「この野郎！」
　悪態とともに触手に短剣が触れる。
　触手は、意外に軟弱だった。スッパリと切れて、少女を地面に投
げ出した。しかし、今度はアンリの体に触手が巻きつく。ギリギリ
と締め上げられ、胃の中の物を吐き出しそうになる。
「ちょっと痛いわよ！」
　パキパキと耳障りな音がして、冷たさで体が芯まで凍ったような
気がした。
「今よ！　やっちゃいなさい！」
　少女の声が聞こえ、アンリは無我夢中で短剣を持って暴れた。パ
キンと音がして、アンリは地面に落ちた。すばやく転がって、短剣
を構える。
「どきなさい！」
　二本の触手を失い、本体が姿をあらわした。緑の半透明な物体。
顔らしき場所に、六つの丸い目玉のようなものがついている。少女
は本体めがけて冷気を放った。
「デス・フリーズ！」
　少女の放った冷気は、あっと言う間に緑色の物体を冷やし固めた。
「目を破壊するのよ！」
　少女はアンリに乱雑に指示を下す。
「目、って言ったって、六つも！」
「好きなのからやっちゃって！　今の私の魔法じゃいつまであの化
け物を凍らせて置けるかわからない！」
「ずいぶんと頼りない女神さんだな！」
　アンリは大声でグチると、化け物へと跳躍した。片っ端から化け
物の目玉に短剣を突き立てていく。少女本人が言うより、その魔力
はすごかった。アンリが短剣に少し力を入れて目につきたてるだけ
で簡単に弾けて行ったのだ。
　目玉の最後の一つが短剣の切っ先に触れたとき、事態が急変した。
今まで固まっていた化け物が一挙にドロリと崩れ、あふれ出したの
だ。
「危険ね……あの化け物は倒すと、大量の水を生み出すのよ。おお
よそ化け物事態の大きさの５０倍は水を生み出すわ……彼の作戦は
完璧だったわけね。私の封印が解ければ一緒に化け物の封印も解け、
もし私が化け物を倒したとしても化け物の生み出す水によって溺死
させるつもりだったのね」
　少女がギリリと歯を食いしばる音が聞こえた。
「ど、どうやって逃げ出せばいいんだ？！」
　アンリはあせった様に少女に問う。
「策はもうないわ！　今の私には炎を操ることができないの！　奪
われて封印されているんだから！」
　増え続ける水を前に、アンリは言った。
「相当うらまれてるみたいだな、君は！　どうしたらそんなに……」
「うらんでるのは私のほうよ！　うらんでもうらみ足りないわ！　
彼は私を利用するだけ利用して、いざとなったら自分だけに名声を
受けるために私を封印したのよ！」
　少女の赤い瞳に見られた情熱にも似た憎しみは、アンリの見間違
いではなかったようだ。少女の瞳は、憎しみで赤々と燃えていた。
「それだけの情熱があれば炎の十や二十放てそうだけどな！」
　迫る水の恐怖を振り払うかのようにアンリは怒鳴った。
「だから！　封じられてるのよ！　あんたこそ何とかしなさいよ！」
「俺は魔法なんて使えないんだよ！」
「なに言ってるの！　何のための短剣よ！」
「ただの短剣に何ができるって言うんだ！」
「ただの短剣だと思ってたの、それが！　短剣で、あんな簡単に化
け物が倒せると思ってたの？！」
　アンリはいまいち少女の言ってることがわからなかった。
「その短剣、私の封印を解くために使われるものだったのよ。女神
を封じていた封印よ、普通の武器や魔術じゃ解けるはずがないの。
あなた、彼の僕の一人に似ているけれど……父親の名は？」
　深みを増す水から懸命に顔を出しながら、少女がアンリにたずね
る。アンリは水中で少女の腰を抱いて引き寄せると、言った。
「アルードだ！　アルード・メディナだ」
「やっぱり。昔の戦友の一人よ。彼はとても優しかった。やさし過
ぎて、彼のすることに反発できなかったのね……なんとなく思い出
してきたわよ、いろいろなこと……」
　少女はブツブツと言いながら、アンリにしがみつく。
「いい、その短剣の力を信じるのよ。壁に突き立てて！」
　増え続ける水にもうパニック状態へと向かっていたアンリは、少
女の言うとおりに壁に短剣を突き刺した。ただ、ひたすら水をなん
とかしようと願って。
　少女の言った、短剣の力か、それとも地盤の緩んだためかはわか
らないが、大きな振動が起きた。水がすごい勢いで地中へと吸い込
まれ始め、アンリと少女の二人も水にもまれながら地中へと吸い込
まれていった……


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