一章 我瞳・怜騎


 それから数時間後。
「あれ、怜騎さんが寝てる。珍しいな、先に帰ったから他の女の人のところに行ってると思ったのに」
 聖春はまずベッドの上でうつ伏せで眠っている我瞳を目にしてそう言った。次いで床に座りこんでいる碧璃と目が合うと、睨んだ。
「怜騎さんには触れてませんよね」
 少し喧嘩腰で言う聖春に対し、碧璃は呆れたように答えた。
「そんな汚らわしい男に誰が触れるものか」
 言葉荒く言う碧璃だったが、なぜかその頬は淡い桜色に染まっていた。
 睨み合う二人を見て、英媛は笑った。そして、我瞳の首筋に手を伸ばした。
「まぁ、熱がまだありますのね。お薬ちゃんと飲んだ方がよろしい気もするのに」
 英媛の言葉に、聖春は首と手を左右に振った。
「だめだめ、怜騎さんになに言っても無駄ですよ。たぶん風邪を引いたことがないんじゃないかなー。あっても気力で治す、とか言う人だし。必要と感じないものに関しては一切拒む人ですし」
「では、強引に氷で体を冷やしてみます?」
 英媛はそう言って、指先に小さな氷をつまんだ。
「余計にあがりそうです、熱」
 聖春は少し顔を引きつらせて言った。だが、心なしか楽しそうだった。
 碧璃は笑いながらカードゲームなどを始める二人を後目に、我瞳に手を伸ばした。だが、触れるよりも前に我瞳の手が碧璃の腕を掴んだ。
 細く柔らかな表情で、我瞳は小声で訪ねた。
「お前は安住の地に戻りたいか」
 碧璃は答えるよりも手を引っ込めようとしたが、我瞳の指はしっかりと掴んで離すことはなかった。
「当たり前だ」
 碧璃は我瞳を睨み、そう答えた。
「この瞳はいらないか」
 我瞳は右目を閉じ、そう訪ねた。
「いらない。何年も私の元を離れた挙句、他の者の一部になっていたのだ……貴様に痛みを与えることなどできない」
 碧璃は我瞳の左の頬を手で包んだ。
「それは特別な瞳だ。大事にしてくれるのならばそれでいい」
「そうか……うぃっくしゅっ」
 我瞳は不意のくしゃみに、素早く碧璃の手を払って顔を枕に埋めた。
「汚いな」
 少し不機嫌そうに碧璃は言った。だが、殴ると言う行動にはでなかった。その代わり、我瞳の背をベッドに押し付けると、吐き捨てるように言った。
「風邪だ、寝ろ」
 少し荒い言葉に、聖春がカードから目を離した。
「怜騎さんに触らないでください、と言ったでしょう。怜騎さん眠いんですか? 俺たち出て行きましょうか?」
 我瞳は目をつぶったままうなずいた。
 聖春はため息をつき、カードをまとめると英媛と碧璃を促した。部屋を出て行こうとする聖春を、我瞳が静止した。
「聖春、ガキは外に出すな。お前じゃ面倒見きれない。部屋は勝手に取れ」
 碧璃はそれを聞くと、軽く頬を膨らませた。
「嫌味で私はここにいる。英媛は聖春とどこかに行くといい」
 碧璃を押のけ、聖春は我瞳に近寄った。
「でも、怜騎さん!」
 我瞳は聖春に言葉では答えずに、手で追い払った。聖春は口を尖らせて黙りこくると、後に英媛を従えて出て行った。
 二人の気配が完全に消えるのと同時に、我瞳から寝息が聞こえはじめた。
 碧璃はそんな我瞳の髪に触れた。だが、我瞳は起きることなく、寝息を立てつづける。それどころか、少し気持ち良さそうな寝顔をしていた……


 翌朝、0800時。
「起きてくださいませ、我瞳様。着替えを」
 言葉こそ優しいが、我瞳は英媛に文字通り叩き起こされた。
「んぁ?」
 我瞳は少し鈍い返事を返した。どうやら深い眠りについていたようだ。叩き起こされたというのに、眠たそうにしている。以前聖春に起こされたときと、まるで違っていた。
「そちらをお召しになってくださいね。当国の者でもないのに当国の民族衣装をお召しになられるのは、我が主は好みませんもので」
 英媛はそう言って、我瞳に昨日買わされたスーツを押し付けられた。
「別にスーツじゃなくてもいいんじゃねぇのか?」
 我瞳は眠そうな瞳を更に細くして呟いた。
「門前払いを食らいたければそれでもよろしいかと。ただいただけるものが少し減るかと思われますわ」
 英媛はそう言って微笑む。我瞳はため息をつき、膝の上に置かれているスーツをにらんだ。
「めんどくせー!」
 我瞳は文句を言いながら着慣れないものを不機嫌そうに身に着けてゆく。
「つかネクタイ締めるのうまいんな、聖春」
 我瞳は首からたらしたままの自分のネクタイと、きっちり結んでいる聖春を見てふてくされたように言った。
「まぁ、学校があった頃はネクタイが普通でしたから」
 聖春はそう言って我瞳のネクタイを結ぼうと手を伸ばした。
「そーかいそーかい。これだから貴族のおぼっちゃまは違うよな」
 我瞳の言葉に、聖春の手が止まった。
「怜騎さん、俺の家はもうないんです」
 うつむいたまま言い、再びネクタイを締め始めた。我瞳は聖春の髪に指を絡ませ、乱暴に撫でた。
「悪い」
 我瞳はそう言って気まずそうに空を見上げた。
「あ、我瞳様、聖春様の髪を乱してしまったんですね。でも聖春様の髪の色って、私どもの国では見ないお色ですから、とてもきれいですわね」
 我瞳は英媛に言われ、改めて聖春の髪に手をやった。
「そういや赤いな」
 聖春は「えっ」と短く息を吐くとドタバタと音を立てながらバスルームへと走っていった。そしてほんの一呼吸置いて大きな悲鳴が聞こえてきた。
「聖春うるせーぞ!」
 我瞳が怒鳴りつけると、聖春はひどく落ち込んだ様子で戻ってきた。
「怜騎さん……俺、赤毛嫌い」
「まぁ、とてもおきれいなのに?」
 英媛はそう言って聖春の乱れた髪をなでた。
 と、聖春の悲鳴に目を覚ましたのか、碧璃がベッドから起き上がった。何度か目をこすり、軽く伸びをしてから我瞳を見た。そして再び目をこする。それは眠たいから、と言うよりも我瞳の見慣れない格好を見たための行為かと思われた。
「なんだよ。俺の顔に何かついてるのかよ」
 不機嫌そうに言った我瞳に、碧璃は答えた。
「いや、まっとうな異国の服を着れば、お前も見れるものなのだな、と思って」
 碧璃はそう言って顔を背けた。
「へいへい、俺はどうやってもガキの好みには応えられないさ。聖春、英媛連れて飯買って来い」
 我瞳は聖春に小銭が入ったサイフを投げると、スーツのままベッドに寝転がった。
「てか、なんだよ」
 ずっと見つめ続ける碧璃の目線に耐えられなくなったのか、我瞳は睨み返した。
「ひげをそらないのだろうか、と思って」
 我瞳のアゴには微かに無精ひげが伸びている。手で触った時には、ざらりと音がした。
「んーガキの国はひげ剃るのか?」
「博東の若い男は剃る。兵智の人たちは山男が多いから剃らないみたいだけれど。特に博東は結婚していない男は剃るのが普通かな」
 碧璃の言葉を聞いて、しばらくアゴを触っていた我瞳だったが、ふと起き上がってバスルームへと向かった。碧璃はそれを見送り、部屋にある鏡台の前で髪を結い始めた。
 碧璃は髪を結い終えると、鏡をじっと見つめた。それは鏡で顔のチェックをしていると言うよりも、何か思いつめた表情だった。
「おまえの顔、それ以上かわいくなんねーよ」
 我瞳の声に、碧璃は振り返って顔を上げた。そして、瞬きを何度かした。そして口から不意に言葉を発した。
「あ……」
 我瞳は眉間にしわを寄せ、聞き返した。
「あ?」
「ひげ、ない方がいい」
 碧璃はそう呟くと、また鏡台へと向いた。その背後で我瞳はつるりとしたアゴを触って鏡をのぞきこんだ。
「そうか? 俺はどっちでもかまわないが。女の価値観ってわかんねぇよ。花柳の女はさっきのひげが好きって言う奴多いからな。おまえ、よくよく見ると変わった目の色してるな。濃いから黒く見えるが、青紫だ。少し右目の色が薄いのか?」
 碧璃は我瞳の言葉を聞いて、驚いたように顔を上げた。
「よく、わかったな。また左目を見せてくれないか? どうせ今日でお別れだから。最後に私のものだった紫水晶を見せてほしい」
 碧璃の言葉に、我瞳はベッドに腰掛けた。そして碧璃を手招きする。近くに寄ってきた碧璃の腰になんのためらいもなく手を伸ばすと、引き寄せて左の膝の上に座らせた。
「見えっか? 正面から見られるとなんか変な雰囲気になるから横からのぞき込めや」
 碧璃は腰に添えられている手を少し不機嫌そうに見つめていたが、我瞳が無意識にやっていることと悟ってため息をついた。
 碧璃は我瞳の左側から目をのぞきこんだ。
 白い義眼に紫の石がはまっている。その中心は薄っすらと色を濃くし、その瞳孔に見える部分は大きさを変えることはない。
「本当に神経がつながっているのか……?」
 碧璃の口から微かに漏れた吐息のような問いに、我瞳は答えた。
「昔、俺は飽きっぽい性格だったからいろいろと義眼職人作らせたり眼帯をつけていたりしたんだが、体の成長も止まったしちょっと長く使えるものを作らせようとしてガラスじゃなくて宝石にしようと思ったんだ。後は昨日話した通りだ」
 我瞳はそう言って左目を指で少し大きく開けた。
「白いところは右目をコピーして作りあげた本物だから、なじまないってことはない――昨日の話、考えてみたか?」
 唐突な問いに、碧璃は首を少しかしげて怪訝そうな表情を浮かべた。
「石を取り出す。宮廷内ならいい医者もいるだろ? 痛みなく取り出すことぐらい可能なはずだ」
 平然とした表情で言う我瞳に、碧璃はため息をついた。
「宮廷内に男は居ない。英媛が得意だと思うが……」
 碧璃はそう言って目を伏せた。
「姫だからな、してもらえないか。まぁ帰すまでに考えておくか」
 我瞳はベッドから立ち上がり、大きく伸びた。碧璃は伏せていた顔を起こし、背中に言葉をかけた。
「私は貴様のような強い者が持っているのが安心だと思う」
 我瞳は伸びた腕を一度止め、ゆっくり降ろしながら振り返りもせず言った。
「だが、俺は死ぬ。他の連中よりも早く」
 はっとするような言葉に碧璃は押し黙った。その沈黙を破るようにして聖春と英媛が帰ってきた。
「飯くったら送り届けてやる」
 我瞳はそう言って碧璃の髪をなでた。



本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース